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初志貫徹

年間平均気温は約-30℃、冬期には-70℃を下回る極寒の地・南極。


今日は、人間にとって最も厳しい環境であるこの大陸に今から100年以上前、日本人として初めて探検を敢行した


しらせ のぶ

 白瀬 矗 中尉


の命日・没後70周年にあたります。

           白瀬 矗

白瀬中尉は江戸時代末期の1861年に現在の秋田県にかほ市にある浄土真宗のお寺に長男として生まれました。


11歳の時、通っていた寺子屋の佐々木先生から聞いた北極の話に興味を抱き、探検家を志します。


そして18歳の時に生家を継ぎ僧侶になるため上京・・・したはずなのに、その2ヶ月後には日比谷の陸軍教導団に入団。あせあせ


やはり子供の頃の思いは捨て難かったようです。


1893年に幸田露伴の兄・郡司成忠大尉の千島探検隊に加わったのですが、大尉から依頼されて現地に留まり越冬した際には極寒と食糧不足に悩まされ、2年後に救助された時には瀕死の状態だったとか。


それでも北極探検の夢を捨てなかった彼は、日露戦争に従軍し中尉となった後の1909年にアメリカのピアリーが北極点に到達したことを聞き、更にイギリスのスコットが探検に挑むことを知ると、自らの目標を南極に変更。


南極探検を表明すると、国民は熱狂的にこれを支持。 


政府からの補助金と国民からの義援金で渡航費用を捻出・・・しかしそれは十分な金額とは言えず、購入した船は積載量僅か204トンの木造帆船に蒸気機関を搭載するという、信じられない程チープな装備。


            

             エスキモー犬の毛皮を纏った白瀬中尉

東郷元帥から 『開南丸』 と命名されたその船に26人の隊員と29頭の犬を乗せ、1910年11月に東京・芝浦を出港した白瀬中尉でしたが、殆どの犬が病死したり乗組員同士が仲間割れするなど、南極への道程はかなり過酷だったようです。


それでもシドニー経由で南極に向かった一行は、1912年1月12日に上陸。

南極点に向け出発したものの、装備等の状況を考慮し止む無く断念。


到達地点を 『大和雪原』 と命名し、日章旗を掲げ万歳三唱して帰投します。

       



帰国した白瀬中尉は国民から大歓迎を受け、皇太子とも謁見するなどましたが・・・後日、善意で集まった支援金を後援会幹部が遊興費で使い込んだことが発覚。

白瀬中尉は自宅などを売却し、その後20年にわたって借金返済に追われることに。ダメだぁ顔


1946年9月4日、半ば餓死(!)で85年の生涯を閉じた白瀬中尉の晩年は、国民的英雄とは思えぬほど寂しいものだったそうですが、決して彼の探検は無駄ではありませんでした。


帰国後白瀬中尉は各地で講演会を開いたのですが、彼の話を聞いて感動し 「いつか南極に行ってみたい」 と願ったのが、後に第一次南極越冬隊長を務めた11歳の西堀栄三郎氏だったのですから。


その西堀氏が支援したのは、国民栄誉賞を授与された冒険家・植村直巳氏・・・日本の冒険家たちには、白瀬中尉のアドベンチャー・スピリットが脈々と受け継がれているのです。


北極の話を聞き 「是非行きたい」 と口にした白瀬少年に、佐々木先生は


〝酒・煙草・茶・湯を絶ち、寒くても火にあたらない〟


という戒めを言い渡したのだとか。


それを18歳から死ぬまで自ら守り通したという、〝初志貫徹の人〟・白瀬中尉のご冥福をお祈り致します。笑3


余談ですが、白瀬中尉が亡くなってから数年後、アメリカ軍機が南極の雪原で彼が掲げた日章旗を発見したのですが、その場所は南極大陸ではなく、南氷洋上に広がる 〝ロス棚氷〟 の上だったとか。


嗚呼・・・。 うー





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