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鬼 親

今からちょうど50年前の今日・1966(昭和41)年9月3日、ある一家が警察に逮捕されました。

当時はモータリゼーションの黎明期で、自動車にわざとぶつかって示談金をせしめる

 当たり屋

が横行。 したがってそれだけなら新聞ネタにもならなかったそうですが、この一家に関しては全国的に報道されたそうな。


なぜなら、その当たり屋の役目を両親が子供にさせていたから。

父親N(当時44)は、戦時中に左肩と手首に銃創を負い、左手が不自由だったとか。


そのため定職はなく、傷痍軍人手当だけでは生活できず母親に援助をしてもらって生活していた。


1955年頃に地元・高知で結婚し、長男Aをもうけていたが、DV・浮気の果てに妻が家出。

Nはその後大阪・ミナミのキャバレーに勤めていたH子を内縁の妻とし、2人の間には次男Bが誕生。

しかし子供2人を抱えて生活に行き詰まった彼らは、1966年春から当たりや稼業を始めます。

当初はH子が当たり役を務めていましたが、やがてそれは当時10歳の長男Aに。

まずA少年が車にひかれ、すぐにH子が駆けつけて泣き叫び、運転手が動転しているところにNが現れて示談にあたる・・・という手法で、全国各地で犯行を重ね、36道府県で300万円以上を荒稼ぎ。

しかもケガがひどく見えるよう、事前に長男の胸やスネにビタミン剤を何本も注射して内出血させ、その跡をアザのように見せかけたといいますから、まさに鬼畜の所業。

しかしその犯行はやがて明るみに出て、警察は同年9月2日に準広域重要事件として発表。

テレビの視聴者からの通報により、翌3日にN一家は大阪・西成の文化住宅に潜んでいたところを大阪府警により逮捕され、2人の子供は保護されました。

A少年は左膝に外傷性関節炎を起こしており、何度も強く打った痕が斑点となっていて全治3ヶ月の重傷を負っていたそうですが、犯行については「自動車にひかれたことなんかない!」と言って泣きだし、後は何もしゃべらず父母をかばっていたといいます。

その後の一家はどうなったかというと・・・まず継母のH子子宮がんにより37歳で死去。

父親Nは出所後行商をしていたが、継母の死去後24歳年下の女性と同棲するも長続きせず、その後は行方不明。

次男Bは通っていた職業訓練校に向かう途中、本当の交通事故に遭って16歳で他界。

そして長男Aは伯母に預けられ、中学卒業後に運送会社に勤務。
14歳年上の女性と結婚し、つつましくも幸せな家庭を築いたとか。

生きていれば、今は70歳・・・子供や孫に囲まれて幸せに暮らしていることを願うばかりです。

さて、この事件を題材にした映画があります。 それは

 『 少 年 』


        

日本映画界の鬼才・大島渚監督がメガホンを取り、少人数のスタッフ編成で日本列島縦断のロケ敢行。

特異な事件の軌跡を追いながら撮影し、1968(昭和43)年に公開された、低予算の異色作です。

そしてこの映画の見どころは、何といっても長男Aを演じた、阿部哲夫少年。


実は彼自身も父親を亡くし、実母以外の母親との生活を経て養護施設に入っていた、小学校4年生。

一度見たら忘れられない、強い眼差しを持つこの少年を大島監督が一目で気に入り、主役に抜擢したといいます。

           


しかしそんな目力を持つ阿部少年にも、こんなエピソードが・・・。

彼は撮影の移動中、汽車に乗るといつも片手でしっかりと自分の荷物を抱え、もう一方の手で隣に座ったスタッフの掴んで離さなかったとか。

そして目的の駅に着く手前の駅に停車するたび、「まだ降りないの?」としつこく聞いたといいます。

怪訝に思ったスタッフがその理由を尋ねると、親代わりになるはずの大人に一度汽車に置き去りにされたことがあったからだとか。

「バカだなァ。 キミを置き去りにするわけないだろう。
そんなことしたら、映画が撮れないじゃないか。安心しろョ。」

と慰めたスタッフの目からは、涙が溢れたとか・・・。

この作品の公開後、阿部少年には養子縁組の話がいくつも舞い込んだそうですが、彼はそれをすべて断って養護施設に戻り、また映画・芸能界とは一切縁を切ったそうな。

そんな阿部少年の渾身の演技、ぜひ一度ご鑑賞ください。笑3




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