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ワイルド

平成の世の中では、草食系というか中性的な男性がモテるようですが、昭和の時代はもっとワイルドな男性が女性のハートを掴んでいた気がします。

今日は、そういう野性的な人気俳優の一人、


 チャールズ・ブロンソン

   Charles Bronson


の命日にあたります。


ブロンソンは1921年に米ペンシルバニア州エーレンフェルドでリトアニア移民の子として15人兄弟の5男として生まれました。

炭鉱夫だった父親がブロンソン10歳の時に亡くなったため、彼は兄たちとともに炭鉱に入って家計を支えたそうですが、家計は苦しく彼は妹の服を借りて学校に通ったといいます。

第二次世界大戦中は陸軍航空隊に志願入隊し、B-29の射撃手として東京大空襲にも参加したという彼は、終戦後の1946年に除隊すると美術学校に入学。

そこで舞台の裏方やエキストラを務めたことで芝居に目覚めたといいます。

ニューヨークに出て、レンガ職人やウェイターをしながら演技を学び、端役を務めるなど苦労を重ねた末、1951年に 『The People Against O'Hara 』 で映画デビュー。

実は彼の本名はチャールズ・デニス・ブチンスキー (Charles Dennis Buchinsky )で、当初はその本名を名乗っていたのですが、ブチンスキーという東欧名が赤狩り旋風の中で不利と判断し、ブロンソンという芸名に変更。

以後、その独特な風貌を生かし、メキシカンやインディアンの混血役を演じつつキャリアを重ね、1951年には『マシンガン・ケリー』で、遂に主役に抜擢されます。

私が彼の姿を初めてスクリーンで観たのは、『荒野の七人』(1960年)。

そして最も印象に残っているのは、『大脱走』(1963年)での〝トンネル王・ダニー〟役。

         

閉所恐怖症に悩まされながら、トンネルを掘り続ける彼の演技は、独特な雰囲気がよく出ていました。

その後も『バルジ大作戦』(1965年)、『戦うパンチョ・ビラ』(1968年)、『雨の訪問者』(1970年)、更に三船敏郎やアラン・ドロンと『レッド・サン』(1971年)で共演を果たし、一流男優の仲間入りを果たしました。

その後も多くの映画に出演したブロンソンでしたが、その後アルツハイマー病を患い、2003年8月30日に81歳でひっそりとこの世を去りました。

個人的にはマフィアを題材にした『バラキ』(1972年)でのバラキ役がシブくて好きでしたが、日本国内で彼の名を一躍有名にしたのは、1970~80年にお茶の間に流れた男性化粧品『マンダム』のテレビCMでしょう。

チックで知られた化粧品メーカー丹頂は、資生堂やライオンの攻勢に晒され経営が悪化する中、起死回生を期して発売したのが、マンダム・シリーズ。

そのイメージ・キャラクターとして男臭いブロンソンを起用したのですが、当初社内では猛反発が起きたとか。

ところがいざ放映が開始されると、これが大好評。

ブロンソンの 「う~ん、マンダム
」という決め台詞は日本中で大流行、マンダムの認知度は98%におよび、丹頂の経営は急回復。

CM開始翌年の1971年に、社名もマンダムに変えてしまいました。

まさに、ブロンソン様々ですネ。

それでは、その懐かCMをご覧いただきつつ、ブロンソンのご冥福をお祈り致しましょう。笑3



              

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