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決 闘

皆さんは、〝日本の三大仇討ち〟をご存じでしょうか?

まずひとつは、『忠臣蔵』。 そして 『曽我兄弟』。 

こまではスラスラッと言える方は多いと思いますが、3つ目の 『伊賀越えの仇討ち』・・・別名 『鍵屋の辻の決闘』 がパッと出てくる方は、かなりの時代劇ファンでしょう。

今日は、その決闘の主人公である

 荒木又右衛門


の命日にあたります。

剣豪として有名ですが、実は彼の来歴に関してはあまり詳しく分かっていません。

1599(慶長4)年に服部平左衛門の次男として伊賀。荒木村で生まれた彼は、父から中条流、叔父からは神道流の剣術を学んだといわれます。

12歳の時に播磨の大名・本田政朝の家臣・服部平兵衞の養子となるも、28歳頃に養家を離れて郷里に戻り荒木姓を名乗るように。

その後大和郡山藩の松平忠明に剣術師範役として召し抱えられます。

そして父の同僚だった渡辺内蔵助の娘・みのを娶ったことで、彼の運命は大きく変わることに。

           
            又右衛門の錦絵 (歌川国芳・筆 1845年)

1630(寛永7)年、岡山藩主・池田忠雄の小姓で美男子だった内蔵助の息子・源太夫が、同僚の河合又五郎から言い寄られるもこれを拒絶したため、逆上した彼に殺されてしまいます。

げに同性の嫉妬は恐ろしいですが、又五郎は江戸に逃げて旗本の安藤家にかくまわれます。

寵臣を失った藩主・池田忠雄は身柄引き渡しを要求するものの、安藤家がこれを拒否したため旗本と外様大名は緊張状態に。

揉めている最中に忠雄が急死してしまいますが、「又五郎を討て」 という遺言を残したため、源太夫の兄・渡辺数馬は、義弟の荒木又右衛門に助太刀を頼み、仇討ちのため又五郎を追跡。

そして1634(寛永11)年11月7日、2人は伊賀上野・鍵屋の辻で河合又五郎を討ち、本懐を遂げたのです。

講談等では、ここで荒木又右衛門が36人斬り殺したことになっていますが、実際には数馬・又右衛門側が4人、又五郎側が11人。

しかし又右衛門が斬った2人は、又五郎の叔父で上席剣術師範・河合甚左衛門と、槍術師範・櫻井半兵衛。

まさに剣・槍術のプロを切って捨てたのですから、又右衛門の腕前が相当なもの
だったことが伺えます。

その後数馬と又右衛門は鳥取藩主・池田光仲(忠雄の子)の求めに応じて1638(寛永15)年8月12日に鳥取入り。

そして共に妻子を呼び寄せたのですが・・・彼らが到着する前の8月28日に、又右衛門は頓死したといわれます。

これには毒殺説もある一方、河合家による暗殺を恐れての偽装死という説もあり、真相は藪の中。

しかしこの仇討ひとつで、荒木又右衛門の名は後世に語り継がれることになったわけです。

【 余 談 】


前述の通り、この仇討に関しては講談や時代劇で数多く取り上げられていますが、大抵は実話に尾ヒレがついたもの。

しかし、あくまで史実に沿って作られた作られた映画があります。

それは森一生監督がメガホンを取り1952(昭和27)年に公開された

 『荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻』

同作は、この仇討の予備知識がないと良く分からない内容になっていますが、脚本を手掛けたのが、あの巨匠・黒澤明氏。

そして又右衛門を演じたのが、三船敏郎さんでした。

         


に他の出演者には志村喬さん・千秋実さん・加藤大介さん・・・そう、この2年後に公開された 『七人の侍』 と同じメンバーが起用されているのです。

従来の派手なチャンバラ劇ではなく、あくまでもリアルな斬り合いを描いたこの作品が下地となって、あの不朽の名作が生まれたといっても過言ではないでしょう。

いや、荒木又右衛門がいなければ・・・とも言えるかも。

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