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本 物

現在、プロの調理師を養成する料理学校として15校を有し、卒業生累計13万2,500人を輩出した日本最大・・・かつル・コルドン・ブルーなどと共に世界三大料理学校のひとつともいわれる、『辻調グループ』。


今日は同グループの創立者にして、日本を代表するフランス料理研究家でもあった

 辻  静 雄 


の命日・二十三回忌にあたります。


辻氏は1933(昭和8)年に東京都文京区本郷に生まれました。

早稲田大学文学部を卒業し、大阪読売新聞社へ・・・そう、元々は社会部の記者だったのです。

その彼が料理業界に入るキッカケとなったのは、入社翌年に日本割烹学校々長・辻徳光氏のお嬢さんと知り合い、結婚したことでした。

ちょうどその(1958)年、調理師全般の職務・資格などに関して規定した 『調理師法』 が制定され、彼は義父に封建的な徒弟制度が当たり前の料理業界に、開かれた調理師養成施設を作ることを提案。


1960年に新聞社を退職し、大阪・阿倍野に辻調グループのルーツである辻調理師学校を開校。

本格的なフランス料理を学ぶため自らが料理の特訓を受ける一方、原書を取り寄せるなどして猛勉強を開始しました。


        


1963年からフランス料理を研究するためアメリカ・フランスを旅行。

料理研究家のサミュエル・チェンバレンら数多くの有名料理人たちと知己を得ると、翌年には初の著書 『フランス料理 理論と実際』 を刊行。

さすがは元新聞記者・・・以後生涯にわたって多数の著書を上梓しました。

また生徒の教育のレベル向上に余念がなく、1969年からは学校職員の海外研修を開始する一方、その3年後からはフランスの超一流シェフを招聘して公開技術講座を開講。

その後も60人以上を招いて講座は続けられ、フランス政府から外国人初の『最優秀職人章』の名誉賞を授与。

1980年には逆にフランス・ローヌ県にフランス校を開校、その翌年にフランス教育功労章(シュヴァリエ)を授与されています。

その一方で日本料理の研究にも取り組み、『吉兆』 の創業者・湯木貞一氏と共著で 『吉兆料理花伝』 を出版するなど幅広い活躍をされました。

単なる料理人としてだけでなく研究者としてフランス料理の歴史をも掘り下げ、日本料理界に多大な貢献をされた辻氏が60歳で天に召されたのは、今から22年前の今日・1993(平成5)年3月2日のことでした。

辻氏の業績・半生に関しては、料理専門家向けに彼自身が書いた著書よりも、こちらの本がお勧めでしょう。


 『美味礼賛』 (海老沢泰久・著 文春文庫・刊)


       


これを読むと、辻氏がいかに日本の(フランス)料理界にとって重要な人物だったかが分かります。

私自身、師匠と弟子の〝徒弟制度〟は古き良き技術の伝承システムだと思っています。

しかしことフランス料理に関しては、当初は全くフランスに行ったことがないか行っても僅かな期間滞在しただけでフランス料理の神髄を知らない料理人が、権威ある一流ホテルのシェフとして迎えられ後進たちの頭上に君臨していた事実を知り、大変驚きました。

最初の師匠が間違っていれば、徒弟制度で代を重ねるごとにどんどん本道から外れていくのは自明の理。

辻氏は現実に立ち向かい、自ら渡仏するなどして〝本物〟を追い求め続け、それを学校という合理的な教育システムの中で拡げて行ったのです。

その弛まぬ努力の結果、本当のフランス料理が日本に広まったわけですから、フランス政府から叙勲されるのは至極当然のことと申せましょう。


さて、辻氏の数ある名言の中で私の印象に残っているのは、バブル末期に残したこんな言葉です。

「グルメと並んで近頃大安売りの言葉に〝究極〟というのがあります。 

例の漫画が流行らせた言葉ですが、今ちょっとした週刊誌のグラビアページなんか覗くと、非常に安易に〝究極の味〟という表現を使っています。

しかしこの表現は一種の撞着(どうちゃく)語法で、味に〝究極〟などというのは、実は有り得ないのです。」

料理界の重鎮のこの言葉・・・昨年福島原発事故に絡み鼻血云々で物議をかもした〝例の漫画〟の原作者は、どう思うのでしょうネ?

そんなことを思いつつ、本物を追求し続けた辻調グループ創始者のご冥福をお祈りしたいと思います。笑3



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