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ハーフ

私が生まれた1958(昭和33)年から1992(平成4)年までの34年間続いたラジオ番組・『百万人の英語』。

英会話を勉強するため、この番組を聴かれた中・高年の方も多いと思います。

今日は、この長寿番組のパーソナリティーだった


  J・B・ハリス さん

 James Bernard Harris


の命日・仏式でいえば十三回忌にあたります。


        

1916(大正5)年に兵庫県に生まれた彼は一見純粋な白人に見えますが、実はイギリス人でロンドン・タイムス極東特派員だった父と、神戸滞在中に彼の身の回りの世話をしたことがキッカケで結婚した日本人の母親との間に生まれたハーフ。

7歳の時に横浜に住んでいたため関東大震災に遭遇。

家が全壊したことと父親の転勤が重なって渡米しハリウッドで少年時代を過ごしましたが、5年後には父親の転勤で再び横浜に。

そして16歳の時に父親が亡くなったため、母親は息子に日本国籍を選択・・・つまり、彼は見かけは外国人でも日本人だったわけです。

(故に彼は、平柳秀夫という日本名を持っています。)


セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジを卒業後、彼は父親譲りの文才を生かすべくジャパン・アドバタイザー(※後にジャパン・タイムズに吸収)に入社。

最初は給仕からのスタートでしたが、その後頑張って念願の記者に。>

しかし、彼の運命を大きく変える出来事が起こります。

それは、第二次世界大戦。

         

上の紙面は、真珠湾攻撃と開戦を伝える1941年12月8日付ジャパンタイムズ&アドバタイザー誌の夕刊トップですが、この見出しを付けたのがハリスさんでした。

しかしこの記事を上げた直後、彼は憲兵に逮捕されてしまいます。

そして国籍が日本人であったにもかかわらず、外国人収容所に8ヶ月も拘束された挙句、釈放後は一転して日本人として徴兵され中国の戦地を転々とさせられます。

終戦後、捕虜となって収容所に入れられた彼は、今度は重慶軍の将軍の娘にに英語を教えることに。

そして翌年にようやく帰国できたハリスさんは、ジャパンタイムスに復帰して極東軍事裁判を取材した後、アメリカのフォーチュン誌に転籍。

その後前述の 『百万人の英語』 の講師を長年務めました。

そして旺文社の役員を務めた後、2004年8月16日に肺気腫により88歳で天に召されたのです。

今はもうハリスさんの英会話教室をラジオで聴くことはできませんが、彼の執筆した書籍を皆さんにオススメしたいと思います。

 『ぼくは日本兵だった』(後藤新樹・訳 旺文社・刊)


        


この本は、ハリスさんの第二次世界大戦勃発から終戦・極東軍事裁判までの、いわゆる戦争験記。

日本人でありながら見かけは外国人だったが故の苦労や、ハーフという立場から見た日本軍の様子が様々なエピソードを通じて描かれています。

実はハリスさん、日本語での会話は出来たものの読み書きはダメだったそうで、日記は全て英語で書いていたとか。

しかしその日記も没収されてしまったため、この本は記憶のみを頼りに書いたのだそうです。

戦時中は頭の中で考えたり読み書きで使う英語を敵国語であったが故に使えず、自分のアイデンティティー喪失同然の苦しみを味わった、というハリスさんの思いが行間に滲んでいます。

既に絶版になっていますが、中古本市場では出回っていますので、ハリスさんのラジオ番組で英会話の勉強をした方には、是非ご一読をお勧めします。

あらためて、多くの日本人の英語力アップに貢献したハリスさんのご冥福をお祈り致します。笑3



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