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襲 撃


終戦後の混乱期だから仕方ない事だったのでしょうが、現在では到底考えられない出来事が今からちょうど70年前の今日・1946(昭和21)年7月19日に起きました。 それは

 渋谷事件

と言われていますが・・・なんと警察が暴力団と手を組んで在日台湾(中国)人と渋谷で銃撃戦を繰り広げたのです。


当時の渋谷区宇田川町にあった闇市の一角に、中国人によって華僑総本部が作られ、飲食店も開いていました。

当時の渋谷警察署・土田精署長(後の警視庁予備隊・初代隊長)は署員に命じて華僑らが販売していた禁・統制物資を押収させ不法建築家屋を取り壊させました。

しかし中国人らはこれに抗議して再び違法販売・建築を行って抵抗。

同じ頃、新橋の闇市を仕切っていた関東松田組が、やはり在日台湾(中国)人と衝突しており、同年6月には在日台湾(中国)人が松田組の事務所や建設現場を襲撃し、2人が死傷。

翌7月16日、今度は松田組々員が宇田川町の華僑経営の喫茶店に日本刀を持って乱入し、台湾(中国)人50人と乱闘し、6人が重軽傷を負いました。

このドンパチの中、「在日外国人が、渋谷警察署や警視庁の襲撃を計画している」という情報が渋谷警察にもたらされます。

機先を制すべく、土田・渋谷警察署長は他の警察署から200名の応援を得て17日に闇市の一斉取締りを実施し、更に翌日は50名増員して再度取締り、2日間で38人を検挙し双方合わせて30人近い負傷者を出しました。

そして問題の19日・・・度重なる取締りにもメゲず、在日外国人が300人以上を集めて渋谷警察署を襲撃するという情報を得た土田署長は、なんと博徒の落合一家・高橋岩太郎総長に助太刀を依頼。

総長の声掛けに複数の暴力団が呼応し、400人以上の警官を動員した警察署の周辺を120人以上のヤクザが守るという、現代では考えられない異常事態に。


        

                  旧・渋谷警察署

 そして同日午後9時、在日台湾(中国)人がジープに乗って警察署の前を通過し、続いて彼らを乗せたトラックが1台、2台と通過し3台目が・・・というところで、銃声が響きわたり、芳賀巡査部長が胸部に被弾。

これを受けて警官や護衛役の暴力団員たちがトラックに向けて発砲。
運転手が撃たれたトラックは警察署・道向かいの民家に突っ込み、横転・炎上。

それを見て助けようと他のトラックから外国人が降りてきたところに暴力団員が斬りこむと、多くの外国人は逃走。

結果、在日台湾(中国)人28人を逮捕、拳銃・鉄棒・ナイフ・火炎瓶等を押収。

病院に搬送中に亡くなった芳賀巡査部長を含め、死者は8人。
重軽症者34人を出す、凄まじい衝突となりました。

これ以降、渋谷の闇市は〝復興マーケット〟と呼ばれて環境は改善され、1951年末までに東京都から闇市は消えたといいます。

 この事件で警察が暴力団の助太刀を頼んだことも驚きですが、それは戦後の混乱期では仕方のない事だったともいえましょう。

それ以上に私が驚くのが、在日外国人が武器を手に警察を襲撃したこと。

残念ながら、こういう襲撃事件は戦後直後だけで終わっていないのです。

1945~55年まで、在日朝鮮人による警察署・派出所や公舎の襲撃事件は20件以上起きており、その後も在日外国人による凶悪犯罪は現在に至るまで止むことはありません。

昨年、中南米からの出稼ぎ外国人が6人を次々殺害した事件を憶えている方も多いでしょう。

日本人が集団で警察署を襲撃するなんて、暴力団でさえやりませんが、在日外国人は何の抵抗もなく実行する・・・ということは、一般人に対しても同様のことは平気で出来るということ。

移民・難民を安易に受け入れる危険性を、日本人は十分理解すべきでしょう。




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