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安打製造機

昨年8月、イチロー選手が彼の記録を抜いたことで名前が出ましたが、私のように野球をやっていた者にとっては、超有名人と言っていいでしょう。

それはピート・ローズに抜かれるまで、メジャー・リーグの通算安打記録保持者だった


  タイラス・レイモンド・カッブ
     Tyrus Raymond Cobb


今日は、通称タイ・カップ・・・また〝球聖〟とも呼ばれた、この不世出の野球選手の命日・没後55周年にあたります。


       


綴りはコブ・サラダの“cobb ”なれど、なぜか日本では昔は〝カップ〟、現在は〝カッブ〟と言われる
彼は、1886年に学校長・市長・上院議員を務めた厳格な父の長男として、ジョージア州ナロウズに生まれました。


地元の名家であり、かの初代大統領ジョージ・ワシントンの一族とも血縁があったというカッブ家からは多数の有名人を輩出していたそうですが、タイは周囲から特別な目で見られることを嫌い、敢えて野球の道へ進んだとか。

1904年に父親の猛反対を振り切り、マイナーのオーガスタ・ツーリスツと契約すると、その翌年には3割以上の打率を残し頭角を現した彼に悲劇が・・・。

なんと、父親が母の浮気相手に射殺されてしまったのです。

しかしカップはその直後デトロイト・タイガースにトレードされ、葬儀の僅か10日後にメジャーに昇格。

そのシーズンこそ打率.240と低調でしたが、その翌年からは引退するまで全てのシーズン打率で3割以上をキープ。

現役生活通算24年での記録は、目をむくばかり。


前述のピート・ローズの記録と比較すると、その凄さが一層際立ちます。

       通算試合     打数    安打    打率   出塁率

 カップ   3,035   11,434  4,191  .366   .433

 ローズ   3,562   14,053  4,256  .303   .375

確かにヒット数はローズが上回っていますが、年間試合数がカップの方が少ない分打数が少ないのです。

もしローズと同じ打数なら、単純計算で5,000安打以上・・・もう天文学的な数字。

1909年には打率.377・本塁打9・打点107の三冠に加え、盗塁76で盗塁王も獲得するなど、現代野球における打撃全タイトル制覇と言う離れ業もやってのけました。


彼のプレー・スタイルは、一口で言うなら足を使った〝機動力野球〟。

通算盗塁数は892で、時には一塁からたった3球で二盗・三盗・本盗と立て続けに走ったこともあり、通算本盗数55というのですから、呆れます。 彼自身、

「50cm先に転がしたヒットと、50m先に飛ばしたヒットが同じヒット1本として扱われることは、野球のルールの最も素晴らしい部分である」

<と言っていますから、如何に走塁を重要視していたかが分かります。

イチロー選手と同じ走・攻・守三拍子そろったオールラウンド・タイプだったと言えましょうか。

             

        

                  スライディングするタイ・カップ

一方で、彼は非常に短気で気性も荒かったといわれています。

チーム・メートだけでなく、野次ったファンや審判にまで殴りかかったといいますから、今だったら確実に追放処分。

しかし彼はのべつまくなしに殴りかかったわけではなく、相手にも原因があるときのみしか乱闘を行わず、相手に大きな怪我をさせるようなラフ行為は一度もしなかったといいます。

人一倍勝つことに貪欲だったが故の、勇み足だったのでしょう。

また、〝最高の技術と最低の人格〟などと揶揄されもしたそうですが、彼の悪役ぶりはアル・スタンプという捏造記事を書くことで有名な記者が金目当てで話を膨らませたことが主たる原因だったそうな。

確かに金銭にシビアではあったようですが、もしそんなに悪い性格だったら大統領やマッカーサー元帥、チャールズ・チャップリンらと親しく交友などできなかったはずですし、1936年に創設された 『野球殿堂』 の栄えある殿堂入り第1号選手には選出されなかったはず。


来日した時も紳士的に振舞ったそうですし、球界を永久追放になった選手を訪ねたり、故郷に大金を寄付して病院を設立したりはしないでしょう。

また嫌われ者だった根拠として、彼の葬儀には球界関係者が4人しか参列しなかったと伝えられていますが、これは遺族が参列を固辞したからだったから。

それらの誤解を解くためにも、マッカーサー元帥が序文を書き添えたこの本を読むことをお勧めします。

 『野球王タイカップ自伝』 (ベースボール・マガジン社・刊)



       


往々にして翻訳本は難解な文章になりがちですが、本書は読みやすく実に面白い内容。

彼は一度、ピストルをもってグラウンドに降りてきたファンに撃たれそうになったとか。

またボールに細工しようとグラブに紙ヤスリを仕込んだり・・・いやァ、昔のベースボールはプロレス並みにワイルドだったんですねェ。

これを読むと、逆に彼がいかに頭脳明晰であり野球に対して真摯に向き合って探究心を持ち続け、そして人一倍勝利に執着していたかが分かります。

古い選手だけに様々なエピソードに尾ヒレがつくのはやむを得ませんが、もう少し彼の実像は見直されるべきでしょう。

でないと、また天国で暴れちゃうかも・・・。あせあせ

彼の自伝を読み返しつつ、1961年7月17日にガンにより74歳で逝去した〝走・攻・守3拍子揃ったファイター〟の冥福をお祈り致します。



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