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転 用

中高年の方だと、今から35年程前の青春時代には竹の子族のメッカとして、また2年前にはデング熱の発生で立ち入り禁止になったことで記憶に新しい場所、といえば・・・そう、代々木公園ですょネ。

ではこの都民の憩いの場である広大なスポットが100年前はどんな場所だったか、ご存じでしょうか?

・・・正解は、

 代々木練兵場

つまり、軍用地だったんです。


江戸時代、この公園周辺は江戸城防衛のために置かれた彦根藩・井伊家や岸和田藩・岡部家などの大名・旗本の屋敷が連なる武家地でした。

それが明治維新後は民有地となり、一面の畑に。

そして現在の神宮外苑一帯にあった青山練兵場が日本大博覧会(1912年に開催予定、しかし結局は延期・中止)用地に決定。

その移転先として陸軍省が買収を進め、今から107年前の今日・1909(明治43)年7月5日に代々木練兵場を完成させたのです。

      
               1925年頃の代々木練兵場

上の写真では分かりにくいですが、用地は現在の代々木公園よりはるかに広く、現在のNHK放送センターや渋谷区役所辺りまで広がっていたそうな。


主として麻布・赤坂の歩兵連隊の演習場として使用されたそうですが、ここでは翌1910年12月に日本で初めて飛行機が飛ばされました。

※日本初飛行に関する過去記事は、こちら。(↓)

   http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11840757640.html

ここでは定期的に『大元帥陛下御観閲』、つまり昭和天皇の観閲式も定期的に行われていました。

        

画像を見ると、現在の鬱蒼と木々が生い茂る代々木公園と同じ場所とは思えぬほど、樹木が全く植えられていないことが分かります。


そして演習のない時には一般に開放され、人々は草野球や凧揚げを楽しんだそうですから、何とも長閑な軍用地というか時代だったと言えましょう。


しかしこの広大や軍用地は、敗戦によって様相は一変します。

アメリカ軍の進駐に伴って、兵舎や家族用居住地域として利用されることとなり、1947年9月に『ワシントンハイツ』が竣工。



塀に囲まれた治外法権の地となったわけですが、再び様相が大きく変わるキッカケになったのは、1964年に開催された東京オリンピック。

現在も各種競技で使用されている代々木国立競技場や選手村に利用するため、オリンピック直前に日本に返還・整備されたのです。

下の写真・中央に現在の代々木国立第一・第二競技場が建設され、その右上・現在の代々木公園辺りにワシントンハイツが広がっているのがお分かりいただけると思います。

        

オリンピック開催中は、249棟・543戸あった木造住宅と新たに建築された4階建ての鉄筋アパート14棟が、そのまま選手村として転用され、更に大会後は『国立オリンピック記念青少年センター』として再利用。

その後一部がNHK放送センターやNHKホールに建て替えられ、残りの部分を公園・緑地化。

1967年10月に、540,529m2(約54ha≒東京ドーム約11.5個分)、東京都内では、葛西臨海公園(約79ha)、水元公園(約76ha)、舎人公園(約71ha)に次ぐ、広さで4番目の公園としてオープンし、現在に至っているのです。

今度この公園に行かれる方は、そんな歴史をかみしめながら散策してみてください。

あっ、そうそう・・・その昔、代々木練兵場には衛戍(えいじゅ)監獄すなわち陸軍刑務所も併設されており、1936(昭和11)年に勃発した二・二六事件の首謀者15名の処刑も行なわれています。

いくら施錠されていないからといって夜中にうろつくと、彼らの亡霊に取り憑かれるかもしれませんから、ご注意を。うー




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