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冤 罪

それは非戦争状態において、化学兵器クラスの毒物が無差別に散布された、世界で初めての犯罪でした。

 松本サリン事件

この忌まわしい事件が起きたのは、1994(平成6)年6月27日・・・亡くなられた方々にとっては、今日が二十三回忌となります。

(※厳密に言えば、死亡確定は翌日未明ですが・・・。)


実行犯は、言わずもがなのオウム真理教。

同教団が松本市内に支部・食品工場建設を目論んだものの、反対運動や賃貸契約のトラブルで裁判沙汰となり、翌7月には自分たちに不利な判決言い渡しが予想されたため、その判決言い渡しを引き延ばすことと、
サリンの効き目を試すことを目的とした身勝手極まりない犯行でした。

本来なら松本地裁に昼間乗りつける予定だったものの、サリンの容器注入に手間取って現地に到着したのが夜になったため、攻撃目標を裁判官々舎に変更。

乗りつけたのが、後に濡れ衣を着せられた河野義行氏の自宅脇にあった駐車場でした。

        

           左下隅に駐車場、その横の茂みが河野邸

        
しかし犯行グルーブが風向を読み間違えたため、サリンは繁み右横の官舎ではなく後ろの河野邸や隣接するマンションに到達。

ガスの噴霧範囲は半径70m以上に及び、(事件当時)死者7名・重軽症者144名という大惨事となりました。

亡くなられた犠牲者全員が2階以上の住人・・・当夜は気温20℃ながら湿度95%と蒸し暑く、窓を開けて就寝していた方が多かったことで被害が拡大してしまったようです。


事件発生直後は犠牲者の死亡原因がわからず、撒かれた物質がサリンと特定されたのは事件後1週間も経過した7月3日でした。


当初、長野県警は事件の被害者であり第一通報者であった河野義行氏を犯人と疑いました。


重要参考人として家宅捜索を行ったり、サリン吸引により体調不良だった河野氏を長時間にわたって拘束、尋問。

マスコミも地元・信濃毎日新聞社を中心に、予断による捜査を続ける警察発表をそのまま垂れ流し、あたかも河野氏が犯人であるかのような偏向報道を続け、週刊新潮に至っては河野家の家系図まで掲載しプライバシーをも侵害する、酷いものでした。


そんな中、同年9月頃マスコミに 『松本サリン事件の真犯人はオウム真理教』 と示唆する怪文書が出回り、その半年後に地下鉄サリン事件が発生。


同教団に対する強制捜査の過程で教団幹部から松本サリン事件の自供が得られ、やっと河野氏の無罪が証明されたのでした。


その後も河野氏に謝罪しない長野県警や信濃毎日新聞社の姿勢を見て、私は長野県人として非常に恥ずかしく思ったものです。


私は事件後に発刊された河野氏の著作

 『「疑惑」は晴れようとも』 (文芸春秋社・刊)


       

を拝読しましたが、警察権力やマスコミ勢力の恐ろしさにゾッとしました。

と同時に、被害者でありながら犯人に仕立て上げられかけ、世間の非難を一身に浴びる辛い立場にありながらも最後まで冷静かつ客観的に対応された河野氏の胆力と、彼を支えるご家族の愛情と絆の深さに感銘を受け、涙を禁じ得ませんでした。


その後河野氏に関して(贖罪の意味もあってか)TVの特別番組なども放映され、また河野氏を主人公とした映画 『日本の黒い夏-冤罪-』 が熊井啓監督の手により製作されています。


またこの事件が契機となり、マスコミは以前より予断報道を自重する方向になったとは感じますが・・・残念ながら、現在に至っても一部キャスター・コメンテーターの予断に基づく発言などで物議をかもす例が散見されます。


マスメディアが容疑者逮捕時点ではなく、公判後有罪が確定したから報道するようにしない限り、河野氏のような冤罪被害者が再びでっち上げられる恐れがある、と思えてなりません。

同時に私たちはマスコミ報道を鵜呑みにせず、常に真実を追究する姿勢を崩さぬように気をつけたいものです。


この事件の事を知ってる人はおそらく30代以上の方だけでしょう。

地下鉄サリン事件同様、この史上初の無差別毒ガス殺人事件の教訓を、私たちは事件を知らぬ若い世代に語り継がねばなりません。

サリンを吸引したことで長らく意識不明のまま闘病生活を送られた河野氏の奥様は2008年に亡くなられ、現在河野氏は鹿児島に移住されているとのこと。

河野氏の今後の人生に、幸多からんことを祈るのみです。


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