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麗 人

今日は、〝ピアノの詩人〟ショパンの愛人として知られる


 ジョルジュ・サンド

   George Sand


の命日・没後140周年にあたります。


とかくショパンの陰に隠れがちですが、彼女は膨大な著書を残している歴としたフランスの女流作家。

サンド(本名:アマンディーヌ=オーロール=リュシール・デュパン)は1804年、軍人貴族の家系に生まれました。

早くに父を亡くしたため祖母に育てられた彼女は、18歳でカジミール・デュドヴァン男爵と結婚し1男1女を出産しましたが、まもなく別居。


そして1831年にジュール・サンドーとの合作で、処女となる 『Rose et Blanche 』 を発表。

これ以降サンドのペンネームを使うようになった彼女は、文壇で注目されると同時に男装で社交界に出入りしたことで有名に。

ジョルジュのスペルは、英語読みでジョージ・・・完全な男性名ですものネ。

そして1833年頃から詩人のミュッセや医者、そしてリストとも浮名を流すなど、奔放な男性関係を持ち続けました。

        

               1935年頃の肖像画

そしてショパンとの出会いは、1936年。
リストの愛人だったダグー夫人の夜会だったとか。

その時の第一印象は、意外にも最悪。 彼は黒い衣装に身を包み、ズボンを履いて葉巻をくゆらせ何人もの男性をはべらせる彼女を

「なんという感じの悪い・・・本当に女なのか、それすら疑いたくなる。」

と書き記しているのですが、げに男女の仲は不思議なもの。


ショパンはピアノを弾いている自分に向けられたサンドの熱い視線を直感。

初めて出会ってから2年後、2人は恋に落ちてしまいます。


ショパンの病気療養を考えて、2人はマジョルカ島に静養に出かけましたが、町の人々に病気を嫌気され、仕方なく街から遠く離れた廃墟になっていた修道院に居を構えます。

しかし石造りの建物は身体を冷やし却ってショパンの病状を悪化させ、またサンドの息子とショパンとの不仲が、やがて2人の間の亀裂を深めます。

またサンドは真剣にショパンを愛していながらも、逆にショパンの愛を確かめるかのように次々と男性に近づき思わせぶりな態度を取ったため、一途にサンドを愛するショパンの心はかき乱され、遂に2人は1847年に別れることに。

それからのショパンは、まるで生ける屍のよう・・・1849年に39歳の若さでこの世を去りました。

一方のサンドは政治志向を強め、カール・マルクスやミハエル・バクーニンらの政治思想家と交流し、1848年の2月革命に参加しましたが、その時政治に失望して以降は隠棲。

女性の権利を高める活動を主導すると共に文学作品も書き続け、ヴィクトル・ユーゴーやテオフォル・ゴーティエなどの多くの文学者とも交流を持ちました。


          

                60歳頃の肖像写真

1876年6月8日に71歳で亡くなる直前まで執筆活動を続けた彼女は、60編以上の中・長編小説をはじめ多数の短編・劇作、エッセイ、更に26巻に及ぶ膨大な書簡集を残しています。

当時はまだ女性だけの力では生きにくい時代でしたが、その中で初めて女流作家として生活し続けた彼女のバイタリティーは想像を絶します。

その負けん気が、敢えてジョルジュという男性名を生涯使い続けたことに表れているのかも。

そんな彼女に敬意を表してか、フランスでは彼女の名がついた学校が80を数えるとか。

単に〝ショパンの愛人〟だと思っていたら、天国の彼女に叱られそうですネ。あせあせ




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