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絢 爛

今日は、江戸時代中期を・・・というより、日本を代表する画家・工芸家にして、桃山時代後期に本阿弥光悦・俵屋宗達が創始した〝琳派〟を発展させた最大の功労者、


 尾形 光琳


の命日・没後300周年にあたります。


光琳は1658(万治元)年に京都の呉服商『雁金屋』の当主・尾形宗謙の次男として生まれました。

彼が30歳の時に父親は死去しましたが、彼はその遺産を遊興三昧で使い果たしたばかりか、弟にまで借金をする放蕩ぶり。

しかし曽祖父の妻が光悦の姉であり、よく絵を描いた父を持つ彼には芸術家の血が脈々と流れていたのでしょう。

呉服屋で生まれ育ったことでデザイン・センスは自然に磨かれ、少年時代から能楽や茶道・書道に親しんでいた光琳・・・実家の商売が傾いたこともあって窮地に追い込まれた彼は、〝遊びが芸の肥やし〟よろしく30代後半から絵師として身を立てるように。

   
            
燕子花図屏風 (国宝 根津美術館・蔵)


彼の弟でやはり絵師となった尾形乾山をして、

「兄は何を描いてもそれが即模様になっているところが、並の絵師とは違っていた」


と言わしめた、いわば天才肌の芸術家だったようです。

44歳の時、本来高僧に授与される〝法橋〟の位を得た彼の作品は、京都の富裕層を顧客にしていたためか、屏風画を中心に金箔を施した豪華な〝光琳模様〟を多用。

(ただし後年は水墨画などシブい作品も残していますが・・・。)

パトロンとして、また別の意味(?)でも関係の深かった京都の役人・中村内蔵助が江戸詰となって転勤すると、彼を追うように江戸に下り、5年ほど滞在したことも。

また屏風画だけではなく、扇面や団扇などの小品や、陶器に絵付けをしたり硯箱を作ったりと、その作品は多岐にわたっています。

        
          八橋蒔絵螺鈿硯箱 (国宝 東京国立博物館・蔵)

その制作年度ははっきりしていませんが、国宝や重文に指定されている作品が多数あることからも、彼の芸術性の高さは証明されています。

まだ創作意欲の衰えていなかったにもかかわらず、1716(享保元)年6月2日に享年59歳で急逝した光琳の作品や生涯に関して詳しく知りたい方には、こんな書籍がオススメ。

『もっと知りたい尾形光琳 ― 生涯と作品 (東京美術・刊)


        


日本美術史を専攻する仲町啓子氏が、初心者にも分かりやすいように説明してくれています。

今宵はこの本を読み返しつつ、フェノロサをして〝世界最大の装飾画家〟と言わしめた光琳の功績を偲びたいと思います。笑3



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