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玉 砕

皆さんは大東亜戦争の中期、日米両軍の間で交戦した


 アッツ島の戦い


をご存知でしょうか?

この太平洋上の小島での交戦を敢えて取り上げたのは、大本営が初めて〝玉砕〟という言葉を国民に対して発したから。

一般的に日米間の交戦はハワイ・真珠湾から始まって南方で展開されましたが、このアッツ島は逆に北方・・・アリューシャン列島のひとつなのです。(

         

なんでこんなところに日本軍が・・・と怪訝に思えますが、これはその前年のミッドウェー開戦に備えた陽動作戦として、このアッツ島(とすぐ近くのキスカ島)を攻略し、守備隊として2,650名を投入して飛行場などを建設したのです。

しかしそのミッドウェー海戦で勝利を収めた米軍がロックウェル少将率いる11,000名もの兵員を率いて同島の奪還を目指し上陸作戦を開始したのは、1943(昭和18)年5月12日のことでした。


迎え撃つ日本軍守備隊の司令官は、同年4月に赴任したばかりの山崎保代(やすよ)大佐(※没後2階級特進で中将)。

           

開戦直後から圧倒的な兵力・火力を有する米軍を目の当たりにして、山崎大佐は大本営に歩兵1,500名と武器・弾薬・食料の補給を打診。

しかし大本営はキスカ島からの兵の撤退はしたものの無情にもアッツ島は見捨て、一切の補給をしませんでした。




仕方なく山崎大佐は硫黄島の栗林中将と同様、兵を内地・高地に撤退させ米軍を迎え撃つ作戦に出ましたが、兵力と火力の差は如何ともし難く、同月28日にはほとんどの兵力・弾薬を喪失。

翌29日、戦闘に耐えられない重傷者が自決し、山崎司令官は生存者を本部前に集めると、各将兵を労った後に

「機密書類全部焼却、これにて無線機破壊処分す。」

と大本営宛てに最後の打電、約300名の兵と共に米軍本部に向かって突撃し全員が玉砕して果てました。

山崎大佐の遺体は、日本兵の先頭で発見されたといいます。

この戦いに参戦していた米兵は、後に

あれは、バンザイと叫びながら自殺のための突撃だった。

 日本兵は爆発物を巻きつけて、死のうとしていた。 

 私たちを殺しに来ると同時に、彼らは死にに来たのだ。」


と証言しています。

日本軍の損害は戦死2,638名、捕虜として生き残ったのは僅か27名・・・生存率は僅か1%。

対する米軍は戦死者約600名、負傷約1,200名でした。

        

            米軍が撮影した、玉砕した日本兵の遺体

実際は〝全滅〟だったのに、なぜ大本営は〝玉砕〟という言葉を使って発表したのか?

それはミッドウェー海戦で大敗を喫して以来、戦況が刻々と不利になる中、それをひた隠しにしてきた大本営が〝全滅〟という国民にとってショックが大きい言葉を使えなかったから。

また部隊を見殺しにした軍幹部に対する責任論を回避するため、とも言われています。

いずれにせよ、大本営の保身を目的としたカムフラージュであることに違いはないでしょう。


〝玉砕〟は、決して日本兵の潔さや忠誠を誓ったものではなく、大本営の無策・無責任のせいで犠牲になった兵士たちの、無念を象徴した言葉・・・私にはそう思えてなりません。

73年前の今日、北方の小島に散った山崎中将以下2,600名余りの英霊に、黙祷を捧げたいと思います。笑3


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