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プリンス

今はよく〝〇○王子〟と言いますが、昔は次代を担うと期待されるヒーローを〝プリンス〟と呼んでいました。

角界なら先代・貴乃花関、プロ野球界なら原辰徳選手・・・そして今日は、政界のプリンスと言われた安倍晋三・現総理大臣の岳父、


 安倍 晋太郎 

の命日・没後25周年にあたります。

衆議院議員・安倍寛氏の長男として1924(大正13)年に東京で生まれた晋太郎氏は、生後間もなく父親の郷里・山口県に転居し幼少期を過ごします。
(※母親は彼の生後80日で離婚。)

山口中学校から岡山県・第六高等学校から東京帝大に推薦入学すると同時に海軍滋賀航空隊に予備学生として入隊。

終戦後は東大法学部に復学し、卒業後は毎日新聞社に入社した彼の運命を決定づけたのは、1951年に岸信介氏の長女・洋子さんとの結婚。

岸氏が石橋内閣の外相に任命されたのを機に新聞社を退職し外相秘書官になった安倍氏は、義父が首相になると同時に総理秘書官に。

そして岸・佐藤兄弟が時期尚早と判断する中、「義父に迷惑がかかるなら離婚してでも」という不退転の決意で1958年の衆院選に立候補し、見事2位で初当選。

この時の当選同期には金丸信氏や、後に盟友・ライバルとなる竹下登氏がいました。


しかし一転して1963年の総選挙で落選。

将来を危ぶんだ岸・佐藤兄弟が腰を上げて、それまで同じ選挙区で当選を重ねていた吉田派の大物・周東英雄氏の後援会長・藤本万次郎氏を安倍氏の後援会長に迎え、1967年の総選挙で復活。

(※周東氏は1969年に政界を引退。)

その後岸派を継承した福田派に入りすると、1974年の三木内閣で農林大臣として初入閣。

1977年には福田改造内閣の内閣官房長官に。

そして1979年から政調会長、中曽根内閣では4期連続外相を務め、その経歴・後ろ盾から〝政界のプリンス〟と呼ばれ、竹下登氏・宮沢喜一氏と並ぶニュー・リーダーとして将来を嘱望されました。

         

             外相時代に国連で演説する安倍氏

しかし彼には、時の運がありませんでした。


安倍氏を重用した中曽根氏でしたが、3人のニュー・リーダーの中から後継者に選んだのは、竹下氏。

その竹下内閣で党幹事長に就任し、今度こそ次期総裁・・・と目された彼を襲ったのは、病魔でした。

リクルート事件が世間を騒がせた1988年に膀胱がんで緊急入院。

その後派閥内から大量の若手議員を当選させ足場を固めたものの、1990年9月に再入院。

翌1991年5月15日に67歳でこの世を去りました。

政治家としては、まだこれからという年齢・・・あと10年、いや5年寿命が延びていれば、総理のイスに座れていたかもしれないだけに、ご本人はさぞ無念だったことでしょう。

惜しむらくは、竹下氏のような強かさがあればもっと早くイスに座れていたかも。
個人的には所属した派閥、田中派と福田派の差が明暗を分けた気がします。

でも次男の晋三氏が2度総理の座に就いたのですから、「最初はオレの分だ」と天国でご満悦なのかもしれませんが・・・。

あらためて〝政界のプリンス〟のご冥福をお祈り致します。笑3


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