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432

鎌倉時代に権勢を誇った北条氏に


 北条 仲時


という武将がいました。

第13代執権・北条基時の子で、鎌倉幕府最後の六波羅探題北方だった彼が、足利尊氏らに攻められて東国に落ち延びようとするも果たせず、今から683年前の今日・1333(正慶2)年5月9日に京都・蓮花寺の本堂前で自害し、28歳の短い人生に幕を下ろしました。


          

歴史の表舞台にあまり名前が出てこないこの武将をなぜ取り上げたかというと、彼が自害した際、何と432人もの家臣が共に自害・・・つまりは殉死して果てたから。

同じ部下から内部告発された某都知事とは、大違い。うー

蓮花寺には、今でも彼らを弔うべく建てられた五輪塔群があります。

  

殉死とは、主君などの逝去を受け、それを追って家臣・臣下が死ぬこと。

これには自らの意志で自殺する場合と、強制的に殉死させられる場合(殉葬)があります。

過去の事例としては明治天皇の後を追った陸軍大将の乃木希典夫妻が有名ですが、これは日本独自のものではなく、古代エジプトやメソポタミア、中国でも行われていたようです。

日本では女王・卑弥呼が死去した際、100人以上の奴婢が殉葬されたと 『魏志倭人伝』 に記されています。

また武士の世界では、戦国時代には切腹によって主君が亡くなると、家臣やその妻子が後を追うことが美徳とされ、更に江戸時代に入ると病死など自然死の場合でも追い腹を詰める家臣が現れ、それが忠義・忠臣の証と考えられるように。

しかし逆にそうしなかった者が臆病者とまで言われるようになり、また優秀な人材を失うことを防ぐため、1665(寛文5)年に公布された 『武家諸法度』 により殉死は禁じられました。

近世では、明治天皇崩御の際、先に述べた乃木大将の殉死の他に数名、また昭和天皇崩御の際にも数名が殉死しているとのこと。

この殉死を扱った代表的な小説としては、森鴎外が(乃木大将の殉死に触発されて)書いた 『阿部一族』 がありますが、これを読むとかつての日本人がいかに〝恥〟と〝名誉〟を重んじ、またそれに縛られていたかが分かります。

         

しかしいかに忠誠の証とはいえ、同時に432人もの家臣が自害したのは、何故なのか?

また下剋上の戦国時代は隙あらば主君を討つのが当たり前だったのに、なぜ逆に殉じるようになったのか?

そんな疑問に答えてくれそうなのが、この書籍。

 『殉死の構造(山本博文・著 講談社学術文庫・刊)


          

『阿部一族』 の検証から始まるこの書籍を読むと、時代と共に日本人の死生観が変わり、また殉死する様々な裏事情があったことが分かります。

それにしても、28歳の若武者に付き従って自害した432人は、本当に自らの意志で死を選んだのでしょうか?

それは群集心理の果てなのか、それとも 「拙者は死にとうない」 と言える雰囲気ではなかったのか?

五輪塔の下に眠る彼らに聞いてみたいところではあります。

ところで、昔は夫に先立たれた妻が後を追うこともあったそうですが・・・我が家の女王様に聞いたら、


「もちろん、アンタがいなくなったらこの世に未練はないワ。」


ですって。  

・・・見え透いたウソをつくんじゃないっ!怒



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