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伝 説

「あなたが知っている日本人彫刻師の名前を挙げてください」

そう問われて最も多くの方が口にするのは、おそらく


 左 甚五郎

ではないでしょうか? 今日は江戸時代初期に活躍したとされる、この名人の命日といわれています。

といわれている・・・と断定できないのは、彼の出自や履歴がはっきりしていないから。

中には実在を否定する専門家もいるくらい。

彼の末裔とされる左光挙の著書によれば、1954(文禄3)年に播州明石に生まれた甚五郎は父親の死後飛騨高山に住む叔父の許に引き取られ、1606年に京都の大工棟梁・遊左法橋与平次に弟子入り。

1619年に江戸に下って大工・豊後宗広の娘婿となり、宮大工棟梁として名を上げたとか。

その後再び京都に戻り、師匠の名を継ぎ禁裏(きんり=皇居の意)大工棟梁を拝命、1651(慶安4)年4月27日にこの世を去ったとのこと。


これとは別に、左甚五郎は、1504年に生まれ16歳で多武峯十三塔その他を建立し、「昔より右に出る者なし」と言われたことから左を名乗ったといわれ、66歳で没した岸上甚五郎左義信がモデルという説も。

また左という姓を名乗ったのは、左利きだったからとか腕の良さを妬まれて右手を切り落とされた・・・という説もあり、その存在は伝説化しています。

彼が遺したといわれる作品としては、有名なところではまず国宝に指定されている日光東照宮の眠り猫。

       


更には上野東照宮・唐門の昇り龍・下り龍など、全国には彼の手によるものとされる作品が100近くも点在。

しかしその制作時期が安土桃山~江戸時代後期まで300年近くも開きがあることから、左甚五郎は一人ではない・・・というか、その名を語る彫刻師やその名声にあやかった寺社などが複数あったことは確かでしょう。

逆に言えば、それだけ左甚五郎の技量は群を抜いて素晴らしかったということ。

落語や講談で、更にその伝説に磨きがかかってしまった感もありますが・・・私は個人的に彼を題材にした『ねずみ』という落語が大好き。

甚五郎が旅の途中、奥州で客引きの子供に誘われるまま〝鼠屋〟という宿に泊まります。

しかしそこは非常に貧しい宿で、聞けば妻に先立たれた主が後妻と番頭に〝虎屋〟という大きな旅館を乗っ取られてしまい、仕方なく鼠屋を開業したとのこと。

不憫に思った甚五郎が自らの素性を明かし、屋号になぞってねずみを彫り上げます。

このねずみが本物のように動き回ることが評判を呼び、鼠屋は大繁盛するのですが・・・。

後は当代最高の名人・立川志の輔師匠の語りでお楽しみください。



最後のオチのヒントは・・・眠り猫? 笑2



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