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志半ば
初めてアメリカ大陸を発見した西洋人は・・・と問われれば、大抵の方はコロンブスと答えるはず。

では初めて世界一周を果たしたのは? と聞かれれば、また多くの方は彼の名を口にすることでしょう。 今日は、その

 フェルディナンド・マゼラン

   Ferdinand Magellan

の命日にあたります。


        

とは言え、この世界的に名の知れた冒険家の前半生は、あまりよく分かっていません。

生まれは1480年頃で、ポルトガル北部ミーニョ地方の下級貴族の出といわれています。

1492年にポルトガル王妃レオノール・デ・ヴィゼウの小姓としてポルトガルきゅでんに入った彼は、そこでコロンブスやバスコ・ダ・ガマの活躍を知り、外洋航海に関心を深めたそうな。

そして1505年にポルトガルがインド洋の覇権を握るべく出したアルメイダ艦隊に参加を許され、初の外洋航海に。

そこで実力を認められ副舵手に抜擢されますが、イスラム勢力との闘いで負傷し、半年近く入院する程の重傷を負います。

しかしその後船長の位も授かったマゼランでしたが、何故かポルトガル王宮と決別。

そして西回り航路に関心を寄せていたスペイン王・カルロス1世が、ライバル国・ポルトガル出身のマゼランを香料諸島を目指す艦隊の総責任者に指名。

今でいうなら侍ジャパンの監督を外国人が務めるようなものでしょうが、当時はスペイン・ポルトガル両国から反発があったようです。

しかし国王はそう言った外野の声に耳を貸さず、艦隊は1519年8月にセビリアを出発。

準備不足や寄港先での現地人とのトラプルやスペイン人乗組員の叛乱など様々なピンチを何とか乗り越え、彼は遂に1520年10月、西太平洋に抜けるルートを発見。

(南米大陸南端にある海峡が、マゼラン海峡と名付けられました。)

   



太平洋に出た艦隊は途中補給が出来ず、20人近い乗組員を餓死で失いながらも、1521年3月にフィリピン諸島に到達。

セブ島でマゼランはキリスト教の布教を開始。

それが以外にも成果が上がったため、彼は本来の目的である香料諸島への出帆を遅らせてまで布教活動に執着したのですが、これが裏目に出てしまいました。

徐々に強圧的な態度に出始めたマゼランに地元の王が反発。

同年4月27日、1,500人の兵を動員して艦隊を襲撃し、マゼランを殺害・・・そう、つまり彼は世界一周を果たせぬまま、495年前の今日、この世を去っていたのです。

生き残った乗組員たちが同地を離れ、香料諸島を経てスペインに帰国したのは、翌1522年9月。

3年前に出発した時総勢270名いた乗組員は、僅か18名のみ・・・生還率僅か7%弱という過酷な船旅でした。

ですから歴史上初めて世界一周を果たしたのは、マゼランではなくマゼラン艦隊だったのです。


しかし志半ばとはいえ、前人未到の西回り航路に打って出て、最終的には艦隊がそれを果たしたわけですから、マゼランのリーダーシップは大したもの。

海峡を始め星雲やペンギンにその名を冠せられた大冒険家の冥福をお祈り致します。笑3




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