FC2ブログ
便利屋

もうそんなに昔の事だったのか・・・と驚くくらい、彼の急逝はプロ野球ファンにとってあまりに衝撃的な出来事でした。

今日は、プロ野球界のキムタクこと

 木村 拓也 元読売巨人軍コーチ

の命日・・・早いもので、七回忌にあたります。


          ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-木村拓也


木村コーチは1972年に宮崎県宮崎市に生まれました。

宮崎県立宮崎南高校時代はキャッチャーとして甲子園に出場経験があり、プロ時代からは想像できませんが高校通算ホームラン35本も打ち、また俊足を生かして5打席連続3塁打という非常に珍しい記録も残しています。

1990年に捕手として日本ハムファイターズにドラフト外で入団。

しかし開幕時に支配下登録選手枠から漏れ、任意引退選手扱いになるなど、出だしから屈辱を味わいました。


翌年に俊足・強肩を買われて外野手に転向。
しかし1994年にトレードで広島に移籍すると、今度はセカンド。

更に1996年にはスイッチヒッターに転向し、左右両打ちでピッチャー以外はどこでも守れるという、いわゆるユーティリティー・プレーヤーに。

監督としては、1人何役もこなせる有難い選手に成長したわけですが、そこを買われて2004年にはアテネ五輪の日本代表選手にも選ばれました。


2006年にブラウン監督の若手起用方針により出番がなくなったことでトレードを志願し、同年6月に巨人入り。

以後2009年に引退するまで現役生活19年・・・決してチームの主力ではなかったにも関わらず、非常に息の長い選手でした。

私が個人的に忘れられないのは、2009年9月に死球により退場したキャッチャーの代役として10年ぶりにマスクをかぶったシーン。

たまたま私はこの試合中継をテレビで観ていたんですが、時速150km超の剛速球を見事受け止めてチームを勝利に導き、原監督やチームメートから祝福を受けた時の彼の笑顔が忘れられません。


         


私が思わず唸ったのは、実はこの試合で加藤捕手が死球を受ける前から木村選手が出番を予期しブルペンで変化球を捕る練習をしていたこと。

まさにベテランというか、スーパーサブの試合の流れを先読みする能力は凄いですょネ。


同年シーズン終了後に現役引退後、原監督からの要請によりコーチとしてチームに残留。


その温厚な性格から誰からも愛され、同年3月に行われたプロ野球機構の研修会では講師として招かれ、新人選手たちにプロの世界で生き抜く秘訣を伝授。


下積み・控えで苦労した経験を持つだけに、指導者として将来を嘱望されていた彼が、かつて在籍した広島カープの本拠地・MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で試合開始前のシートノック中、クモ膜下出血によりホームベース付近で突然崩れ墜ちるように倒れたのは、4月2日。

AEDを使って蘇生措置が施され、広島大学病院に搬送されました。

        



しかし運び込まれた時点でレベル5という最悪の状態だったと言う彼の意識は再び戻ることはなく・・・ファンや関係者の祈りも虚しく、4日後に37歳という若さで天に召されてしまいました。

野球選手はよく 「グラウンドで死ねれば本望」 と言いますが、いざ実際にこういうことが起こると、軽々しく口に出来ません。

聞けば、倒れる前夜に 「頭が痛くて2時間くらいしか寝られなかった」 と話していたとのこと。

もしその時に病院に行っていたら、助かったかも・・・。

ちょっとした前兆がありながら体育会出身で体力に自信があったため、気にしなかった挙句数日後に突如体調異変に見舞われ、生死の境を彷徨った経験が私にもあります。


木村コーチの例も合わせ考えれば、過信は命取りになりかねません。

あらためて稀代のユーティリティープレーヤーのご冥福を祈ると同時に、自らの健康に憶病になることを再認識する次第。

そして当時10歳を筆頭に3人いた小さなお子さん達が、今は立派に成長されていることを願うばかりです。笑3


スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック