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名台詞

私を含め50歳代以上の方には懐かしい、1953~74年にかけて発行された百円紙幣(B号券)に印刷されていた、板垣 退助。

長い髭がトレードマークで、自由民権運動の主導者として歴史にその名を残す明治時代の政治家ですが、その彼が今から134年前の今日・1882(明治15)年4月6日に暴漢に襲撃されたのが、

 岐 阜 事 件

その前年に10年後の国会開設の詔が発せられたことを契機に日本初の政党のひとつ・『自由党』が結成され、板垣はその初代党首に就任。

         

彼は党幹部と共に1882年3月から東海道遊説旅行に出発。
静岡・浜松・名古屋で演説を行い、4月5日に岐阜入り。


翌6日に岐阜市内で演説を行い、会場の神道中教院・玄関の階段を降りる際、「将来の賊!」と叫び刃渡り30cm弱の短刀を振りかざした相原尚褧なる小学校教員に襲撃されました。

暴漢は板垣の左胸を刺しますが、呑敵流小具足術の使い手だった板垣は、一旦跳ね除けますが、再び襲い掛かられ、もみ合いに。

ここで周辺の者が駆け寄り暴漢を押さえつけると、板垣は近くの民家に避難・・・両胸・両手などに7か所の傷を負いながらも、一命を取り留めました。

     
          板垣君遭難の図 (高知市立自由民権記念館・蔵)

さて、この暗殺未遂事件をなぜ取り上げたか・・・というと、襲撃された際に板垣退助が発したとされる言葉が、あまりに有名だから。 曰く

「板垣死すとも自由は死せず!」


自らの命が狙われている刹那にこんな台詞を吐けるなんて、カッコいい!
失礼ながら、思わず拍手したくなる名場面・・・ですが、果たしてこれは本当なのか?

警備していた警察の警護日誌には板垣自身が発したと書かれているようですが、どうもこれは史実と違うようなのです。

というのは、後日板垣自身が 「あっという間で声も出なかった」 と述懐しているから。

有力説としては、同行していた内藤魯一がその言葉を現場で叫び、これを後に板垣が叫んだことにしたというもの。 


自由党の臨時報には 「板垣ハ死スルトモ自由ハ亡ヒス」 と自身が叫んだと伝えていますが、これも後々の人気を高めるために考えた情報操作といえそうです。

中には、「痛い! 医者を呼んでくれ。」 と叫んだ・・・という説もあるそうですが、 個人的にはこれが最も人間臭くて真実っぽく感じます。あせあせ

〝歴史は夜作られる〟 と言われたり、『歴史は女性で作られる』 なんて古い映画作品もありますが、実は

「歴史は後日、都合よく作り変えられる」

というのが、一番真実に近いのかも。

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