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孤 独

古今東西、大富豪は数多くいましたが、その中で伝説化している人というのは、そんなにはいないでしょう。

今日は、その中の1人・・・〝ラスベガスを作った男〟といわれ、レオナルド・デュカプリオが彼を演じた映画 『アビエイター』(2004年公開)で日本の若者にもその名を知られることになった


 ハワード・ロバート・ヒューズ・ジュニア

      Howard Robard Hughes, Jr.


の命日・没後40周年にあたります。


ヒューズは1905年、油田掘削ドリルの開発で財を成した父と、資産家令嬢だった母の間に一人息子としてテキサス州ヒューストンに生まれました。


経済的には何の不足もなかったものの、彼自身は父方の遺伝により生まれついての難聴で生涯を通じ耳鳴りに悩まされたといいます。


彼が16歳の時に母親が、そしてその2年後に父が他界。

18歳で膨大な遺産とドリルの特許を相続したヒューズは、20歳になるとカリフォルニア州に移住。

父から譲り受けた会社の経営は他人任せにして、かねてより夢であった映画製作と航空事業に乗り出します。


ハリウッドに全くコネが無かったにも関わらず、1928年に製作した 『暴力団』 という作品は第1回アカデミー賞の最優秀作品賞にノミネート。

またその2年後の 『地獄の天使』 も大ヒット・・・しかしリアル映像を目指して世界中の戦闘機を買い漁るなどしたため、制作費が当時としては破格の100万ドルにも膨らみ、結局赤字に終わったとか。

またこの撮影の際にヒューズ自身も飛行機操縦中に墜落事故を起こし眼窩前頭皮質を損傷。

このケガが、後に彼を奇行に走らせる原因になったとも言われています。

※前出の映画のタイトル“Aviator ” は、飛行士・パイロットの意。

一方で1935年に自ら航空機製造会社ヒューズ・エアクラフトを設立していた彼は、徐々に飛行機に傾倒。

2年後には自ら操縦してニューヨーク-ロサンゼルス間を7時間30分弱で飛行し当時の最短記録を塗り替えると、更にその翌年には91時間で世界一周にも成功し、最速記録を樹立。


その翌年・1939年には大手航空会社T&WAを買収して航空会社経営に乗り出すと、戦後の1950年には同社をトランス・ワールド航空(TWA)と改名し、大西洋路線や世界一周路線を開拓。

航空機産業に大きな足跡を残しました。


        


また彼は1966年にラスベガスのホテル〝デザート・イン〟の最上階に移り住んだのですが、部屋に引き篭もって出てこなかったためホテル側から苦情を言われると、同ホテルを買収。

その後カジノが節税対策になることを知った彼は、ホテル以外にも地元の航空会社・空港・鉱山などを次々と買収し、何と当時のラスベガスの20%を手中に収めてしまいます。

これに慌てた政府は買収の条件を緩和し、他の大企業も投資できるように法律を改正。

これがヒルトンら多数の資本算入を促進し、 結果的にラスベガスを世界有数の歓楽街にする原動力となり、同時にマフィアの勢力を抑えるキッカケに。


ビジネスでは数々の大成功を収めたヒューズでしたが、私生活では孤独でした。

キャサリン・ヘップバーンやエヴァ・ガードナーらハリウッド女優と浮名を流す一方、19歳・44歳・52歳の時に3度の結婚をしましたが、妻から重婚で訴えられるなどドロドロ。


また飛行機事故の後遺症により強迫性障害と思われる奇行が年々酷くなり、細菌を異常に恐れ、手を洗い始めると血が出るまで止められなくなり、終いには入浴すら出来なくなったとか。

そして1976年2月にラスベガスからアカプルコのホテルに居を移した彼は、同年4月5日に治療のためアメリカに戻る飛行機内で死亡。 70歳でした。

薬物乱用のため体重は僅か42㎏。

本来190cmあった彼の身長は10cm以上も縮んでいたそうで、FBIの指紋照合によってようやく本人と確認されたとか。

莫大な資産と、孤独な死・・・謎めいた彼の一生を振り返ると、人間の幸福とは何か? を考えさせられます。

えっ、使い切れないくらいのお金があれば一人ぼっちでも幸せだって?

そう思う人は、所詮は平凡な庶民ってことかも・・・。あせあせ



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