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No.2

どの世界でもそうですが、〝副〟がつく肩書は意外と軽いもの。
副社長・副大統領等々、名前すら憶えてもらえない方が殆ど。

もちろん副総理もそんなポストのひとつですが、私には唯一未だに忘れられない強烈な副総理がいます。 それは

 金 丸 信 

今日は〝政界のドン〟とまで言われた、この影の実力者の命日・没後20周年にあたります。


金丸氏は1914(大正3)年に山梨県中巨摩郡今諏訪村(現・南アルプス市)の裕福な造り酒屋の長男として生まれました。

子供の頃は腕白で、旧制甲府中学を素行不良で退学になった程ですが、1933年に東京農大に入学後は柔道に熱中。

1938年には徴兵され満州に渡るも、来る日も来る日も続いた湿気の多い塹壕生活のせいで胸に水がたまる胸膜炎に罹り、新京の病院に入院・内地送還となったおかげで兵役免除に。

静養した後に実家の造り酒屋を継いだ金丸氏は、山梨県酒造組合常務理事に就任すると、戦後は焼酎製造で成功するとともに、知己を得た山梨中央銀行頭取・名取忠彦氏の口利きでワイン製造事業に乗り出します。

これを軌道に乗せたことが、後の山梨県のワイン産業発展の基礎となりました。

しかしこの酒造事業に関わっていた時代、「造り酒屋は酒を密造し、税金を誤魔化している」という税務署の態度に腹を立てたことが、政界進出の動機だったのだそうな。


1958(昭和33)年の衆院選に、自民党公認で山梨全県区から立候補した金丸氏は、トラックの荷台に乗って演説をしたり、知名度を上げるために〝信ちゃんアメ〟や金丸の似顔絵入りの〝信ちゃんネクタイ〟を作って選挙区ばら撒くという、今なら確実に選挙違反になる手法を駆使して事トップ当選を果たし、いきなり国政の世界へ。

(しかしこの直後、奥さんを慣れない選挙応援疲れによる急性心不全で亡くす不幸にも見舞われています。)

この時同期当選した(同じ造り酒屋出身の)竹下登氏と親交を深め共に田中角栄氏の派閥入りすると、総裁選での働きを評価され第二次田中内閣で建設大臣に就任。

その後田中氏が金脈問題で失脚しますが、その後の三木内閣で国土庁長官、福田内閣では防衛庁長官を歴任。

そして自ら大嫌いだと公言していた中曽根内閣では副総理の椅子に座ることに。

それだけ金丸氏が自民党内で発言力が強かったということになりましょう。


        


金丸氏の面白いところは、決してトップ(の座)を狙わなかったこと。

「総理大臣で苦労するよりも、陰で総理大臣を操っていた方が面白い」

とご自身が語っており、竹下氏が田中派から独立し創政会を旗揚げした際も、縁の下の力持ち役に徹するなど実際その通りになりました・・・が、ドンの威光はいつまでも続きませんでした。


1992(平成4)年8月、東京佐川急便から5億円のヤミ献金を受け取っていたことが発覚。

副総裁辞任に追い込まれましたが、なぜか検察は事情聴取すら行わず罰金20万円の略式起訴で手打ち。

しかしこれに国民は納得せず、批判の声は大きくなるばかり。
結局金丸氏は事件発覚から2ヶ月後に衆院議員を辞職、政界から身を引きました。

その後東京国税局が奥さんの遺産相続に絡んで調査に着手、金丸氏は脱税容疑で逮捕されてしまいます。

自宅から金塊が出てきたという報道をご記憶の方もいらっしゃるでしょう。

その逮捕から2年後、糖尿病の進行により体長が悪化。
裁判所が審理停止を決定してから1週間後の1996年3月28日に、81歳でこの世を去りました。


良くも悪くも昭和時代を代表する政治家と言えますが、一方で野党とのパイプが太いばかりか北朝鮮・金日成主席とサシで話が出来るなど人脈の広さは他の追随を許しませんでした。

(しかしその会談が土下座外交と批判され、後に右翼団体員から襲撃されましたが。)

また道路族として中央高速道の整備やリニア・モーターカーの実験設備を山梨に誘致するなど、その政治力量はさすが。

もっとも、本人はリニアのことを〝リビア〟と呼んでいたそうですが・・・。あせあせ

またこれだけの実力者でありながら、「息子は政治家にしない」 と世襲させない事を公言し、実際それを実行したところは高く評価すべきでしょう。

時代が違うとはいえ、もう今後金丸氏のように陰で政界を動かせるような大物政治家は出てこない気がします。

政界の寝業師と言われながらも、「農大時代は、立ち技ばかりで寝技はやらなかった」 と嘯いたという大物のご冥福を、あらためてお祈り致します。


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