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大 志

Boys, be ambitious!”  

「少年よ、大志を抱け。」 ・・・ 誰の言葉かは、皆さんもご存じのはず。

今日はその

 ウィリアム・スミス・クラーク 博士
    William Smith Clark


の命日・没後130周年にあたります。


クラーク博士は、1826年にマサチューセッツ州アッシュフィールドで生まれました。


ウィリストン神学校からアマースト大学に進学。

卒業後は化学・植物学を学ぶべくドイツに留学し、同地で博士号を取得。

帰国後は母校・アマースト大学で分析化学・応用化学、更には動物学・植物学まで教え、1853年には弱冠27歳で新設された科学・実践農学の学部長に就任。

そしてこのアマースト大学で教鞭を取っていた時期、後に同志社大学を創設した新島襄が (日本人として初めて) 留学していたことが、クラーク博士の運命を変えることに。

1861年にマサチューセッツ第21義勇軍少佐として南北戦争に参戦した博士は武勲を上げて准将にまで昇進。

1863年には新設されたマサチューセッツ農科大学で教鞭を取り、1876年には同大の第3代学長に。

その博士に、新島襄から推薦を受けた日本政府から北海道に設立する近代的農業学校の指導者として招聘話が舞い込みます。

北海道開拓使長官・黒田清隆の熱心な誘いに心を動かされた博士は、マサチューセッツ農科大学から1年間の休暇を取得し、その間訪日することに。

期限付きで札幌農学校 (現・北海道大学) の初代教頭として1876(明治9)年7月末に来日。

まるで映画 『ラストサムライ』 でT・クルーズが演じたオールグレン大尉のような雇われ軍事顧問のようですが、教頭とはいえ実質的には校長と同様の権限を任されていたといいます。

        


滞在期間は翌1877年4月までの僅か8ヶ月でしたが、後に〝教育の奇跡〟といわれるほど多くの人材を輩出する下地を作ったことは、高く評価されるべきでしょう。

冒頭の有名な言葉は、離任する際に札幌から約20㎞離れた島松(現・北広島市)で見送りに来た学生たちに向かってかけた言葉だったそうな。

(正確には “Boys, be ambitious like this old man .” だったとも。)

この言葉を残した後、馬に乗った博士は颯爽と森の中へと消えて行ったそうですが・・・残念ながら、アメリカに帰った後の博士はあまりパッとしませんでした。

大学の学長職を辞した後、博士は洋上大学の開校を目論むも失敗。
更に友人と鉱山会社を立ち上げたものの、上手くいかずに破産。

倒産を巡る裁判に苦しめられ、1882年には心臓病で倒れ寝たきり状態に。

彼が去った翌年、第2期生として札幌農学校に入学した内村鑑三が1885年に渡米し、クラーク教授に憧れてわざわざボストンまで会いに行ったところ、既にクラーク氏は落ちぶれ変わり果てていたといいます。

その姿を見て失望した内村氏でしたが、クラーク氏が亡くなる直前に


「余の生涯の事業にして一として誇るに足るべきものあるなし。 ただ日本札幌における8ヶ月間のキリスト教伝播こそ、余が今日死に就かんとする際、余を慰むるに足るの唯一の事業なれ。」

と言い残したと聞き、彼を見直したとか。

〝その時のために自分が生まれた〟 と思う瞬間がある、またそれに気づくことが出来れば、人間は生まれてきた価値がありますものネ。


1886年3月9日、59歳で天に召された〝北大の父・北海道の恩人〟の冥福を祈りたいと思います。笑3




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