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無 敗

今日は、小説や講談によく登場する、真剣勝負19回、戦場出陣37回、立会(試合)212回で一度も負けなかったという伝説的剣聖、


       ぼくでん
 塚原 卜伝


の命日にあたります。


卜伝は1489(延徳元)年に、鹿島神宮に仕える卜部(うらべ)氏であり且つ〝鹿島の太刀〟という剣法の継承者でもあった吉川左京覚賢の次男として、現在の茨城県鹿嶋市に生まれました。


5~6歳の頃、鹿島から1里余り離れた場所にあった塚原城主・塚原土佐守安幹の養子となった彼は、実父から鹿島古流を、そして養父から天真正伝香取神道流を学ぶと、早くも16歳にして1回目の武者修行に旅立ちます。

17歳にして最初の真剣勝負を行ったと言われる彼は、前述の〝不敗神話〟の殆どを、この最初の15年間の武者修行の間に作り上げたとのこと。


まさに、鉄は熱いうちに打て・・・ということでしょうか。

しかし一方でこの修行で戦場を数多く廻り、人の死に多く接したことで世の無常を目の当たりにした彼は、いわゆる心身症に罹ったようです。

帰郷した彼のやつれぶりに驚いた父2人は、彼に鹿島神宮への千日参籠を勧めます。

彼はそのアドバイスに従いつつ剣の修行にも励み、遂に鹿島大神より 「心を新しくして事に当たれ」 という啓示を頂いて悟りを開くと、この時から〝卜部の伝統の剣を伝える〟という意を込めて卜伝を名乗ります。


              


復調した卜伝は、34歳の時に2度目の廻国修行のため山陰・九州地方へと出発。


実父の死去するまで約10年間を費やし、帰郷後は塚原城主となり結婚。

しかし1544(天文13)年に妻が亡くなると、彼は養子に城主の座を譲り、68歳にして3度目の

修行へと旅立ちます。

卜伝は自ら編み出した 『一の太刀』 を将軍・足利義輝や義昭、また伊勢国の北畠具教に伝授。


更に甲斐の武田信玄にも剣技を披露、山本勘助ら家臣にも剣の指導をして同地で厚遇されたことが 『甲陽軍鑑』 に記されています。

こうやって諸国を巡り剣術を教えた卜伝・・・今で言うなら、プロゴルファーを教える一流のティーチング・プロみたいな立場だったのかもしれません。


多くの弟子を全国で育て1566(永禄9)年に帰郷した彼は、その5年後・1571(元亀2)年2月11日に83歳でこの世を去りました。


彼の剣術の奥義として有名なのが、〝無手勝流〟。


『甲陽軍鑑』 に記されている逸話ですが、琵琶湖の渡し船に乗っていた時、血気に逸った若い武士が彼に真剣勝負を挑んだ際、中州に彼を先に上がらせた彼は船りずにそのまま船を出し、

「戦わずして勝つ、これが無手勝流なり」

と高笑いしながら去って行った・・・というもの。

この奥義、できれば政治家に外交で生かして欲しいものですネ。


そんな彼をもっと知りたい・・・という方には、こちらの一冊をお勧めします。


 『無敗の剣聖 塚原卜伝』 (矢作 幸雄・著 講談社・刊)


          


ただし巷間言われる有名な逸話に、若かりし頃の宮本武蔵が食事中の卜伝に切りかかった際、彼が鍋蓋でその刀を受けた・・・というものがありますが、これは作り話。

なぜなら、宮本武蔵が生まれたのは、卜伝が死後13年も経ってから。

勝負できるわけがないのです。あせあせ





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