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元 帥

もし彼がいなければ、戦史は変わっていただろう・・・今日は、そう思わせるアメリカ軍人、


 チェスター・ウィリアム・ニミッツ

    Chester William Nimitz



の命日・没後50周年にあたります。

ニミッツは1885年にテキサス州でドイツ系移民の家系に生まれました。


誕生前に父親が亡くなったため、母が父の兄弟と再婚。 

祖父と義父が経営するホテルを手伝いながら育った彼は、サービス業を通して人を見る目を養い、それがその後の人生における大きな財産になりました。

1900年にホテルに泊まった陸軍少尉に憧れ陸軍入りを志望しましたが、たまたま陸軍兵学校に入学するために費用だった地元下院議員の推薦枠がなかったため、仕方なく枠の残っていた海軍兵学校に入学したことが、彼の運命を決定づけました。

1905年に114人中7番目の成績で卒業した彼はその後順調に出世。


1910年に大尉に昇格すると潜水艦の艦長を務め、第一次世界大戦では大西洋艦隊潜水艦隊司令ロビンソン少将の参謀とし戦線に赴くと、1927年に大佐、1938年には少将、その翌年には海軍省航海局長に。


そして1941年12月、真珠湾攻撃を許した責任を取らされて辞任したキンメル大将の後任として、海軍出身でニミッツの人物鑑定眼を高く評価していたF・ルーズベルト大統領はニミッツを太平洋艦隊司令長官に任命。

彼は中将を飛び越して大将に昇格しました。

        


副官のみを伴って就任したニミッツは、「真珠湾の悪夢は誰の身にも起こり得た事だ」 として必要以上の処罰をしませんでした。

そればかりか部下は前任の幕僚をほぼ丸々留任させたことで、真珠湾攻撃で意気消沈した将兵を奮い立たませす。

また真珠湾攻撃を検証し航空機の集中攻撃は大艦巨砲よりも有効であると認識すると、空母と航空機の増強を指示。

更にその空母部隊の司令官に、空母艦長経験のないスプルーアンスを抜擢。

結果的に前例に捉われない人材起用が功奏し、1942年6月のミッドウェー海戦で大勝利を収め、その後戦況は一気にアメリカへと傾きました。

彼の力量本位・信賞必罰の適材適所人事に比して、日本軍は年功序列の硬直人事・・・戦力だけでなく、その辺の差も戦況に大きく影響したといえましょう。

1944年に海軍史上3人目の元帥となったニミッツは、1945年8月15日に天皇陛下がポツダム宣言受諾を宣言した翌9月2日に戦艦ミズーリで行なわれた降伏調印式に列席し、アメリカ代表として文書に署名。

同年11月にアメリカ海軍作戦部長に就任し、2年間その職を務めた後引退。

1965年に脳卒中で倒れた後、1966年2月20日に80歳で愛妻に看取られこの世を去りました。

彼くらいの地位に就いた者の多くは自伝を書くものですが、彼は筆を執りませんでした。 そのことに関し、彼は


「歴史というものは専門の歴史家の手で書かれるのが一番良い。


戦時中の指揮官は感情的に深く関わり過ぎていて客観的な姿を描写することができず、自らが抱いた偏見のために、彼に仕えた人を傷つけないとも限らない。」

と語っています。 また彼の伝記を書いた作家ポッターは、

「思いやりが深く人間心理を極めた、しかも謙虚に充ち溢れた楽天主義的人物。」

と彼を激賞していますが、これだけを見てもニミッツがいかに優れた人格者だったかが分かります。

またマッカーサー程有名でなかったものの、通常大統領名しかつけられない、しかもあのエンタープライズより大きな空母にニミッツの名が冠せられていることが、アメリカの彼の功績に対する評価を物語っています。


そしてもう一点、彼を語る上で外せないのが、我が東郷平八郎元帥との関わり。


日露戦争における日本海海戦でバルチック艦隊を撃破した東郷元帥を信奉していたニミッツは、

その戦勝記念式典に招待され、東郷元帥を胴上げして短い時間ながら言葉を交わしており、その時のことを彼は後にこう語っています。

「偉大な提督東郷平八郎の姿を見て、全身が震えるほどの興奮を覚えた。

そして、いつの日かあのような偉大な提督になりたいと思った。

東郷は私の師です。」

東郷元帥の国葬にも参列したニミッツが、かつて連合艦隊の旗艦であった『三笠』が戦後ダンスホールとして使われており、朝鮮戦争後には原型を留めない程荒れ果てていたことを知ると激怒。

〝三笠と私〟という寄稿文を文藝春秋に掲載すると共に自ら修復費として寄付を行ない、これがキッカケとなって戦艦三笠は無事復元されたのです。

また戦時中に東郷神社が全焼したままになっていたことを知るや、1958年に東郷神社再建奉賛会へ10万円を寄付しただけでなく、共著した『太平洋戦争史』の印税をも寄贈。

我が国の連合艦隊を壊滅せしめた憎い敵将ながら、天晴れ・・・というしかありません。

私は軍人としてではなく類まれな人格者として尊敬しつつ、ご冥福を祈りたいと思います。笑3



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