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異色作

言葉が分からないがために中々馴染めないのが、オペラ。

クラシック・ファンの私でもよく聴くようになったのは40歳過ぎてからですが、そんなオペラの中で最も日本人に受け入れやすい曲は、おそらくコレだと思います。

  蝶 々 夫 人
 Madama Butterfly

何故って、主役が日本人女性であり、舞台が長崎だから。

このイタリア・オペラの名作がミラノ・スカラ座で初演されたのが、今から112年前の今日・1904年2月17日のことでした。


          

               初演時のポスター

作曲は、イタリア・オペラの巨匠ジャコモ・プッチーニ。

※彼に関する過去記事は、こちら。(↓)
   http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11853613908.html


長崎に赴任してきたアメリカ海軍士官のピンカートンは、日本人男性の斡旋により蝶々という芸者と結婚。


しかし3年後任務を終えた彼は、蝶々夫人を残しアメリカに帰国。

彼の帰りをひたすら待ち続けた彼女の目の前に現れたのは、なんと彼がアメリカで結婚した妻でした。

そしてショックを受けた蝶々夫人が最期に取った行動とは・・・。

そんな悲劇の恋を描いたこの作品を、一度も日本に来たことのないプッチーニが、なぜ作曲出来たのか?

そのキッカケは、1900年に彼の作品『トスカ』が初演されるロンドンに赴いた際に戯曲『蝶々夫人』を観た事。

英語での上演だったため内容は分からなかったそうですが、何故かプッチーニはいたく感動し、以後3年の歳月をかけてオペラを書きあげました。


では、西洋人が何故日本女性や長崎の事を知り得たのか?

実は戯曲の原作者であるアメリカ人作家ジョン・ルーサー・ロングの実姉・ジェニーさんが、宣教師として来日し鎮西学館(後の鎮西学院)の第5代校長を務めたアービン・コレルの奥さんだったのです。

そのコレル牧師がアメリカ人船員と日本人女性の恋愛を目撃し、その話を聞いたジェニー夫人が弟に伝えた・・・といわれています。

そして蝶々夫人のモデルとして有力視されているのが、『グラバー邸』でお馴染みのイギリス商人トーマス・ブレーク・グラバー夫人のツルさん。(


           


彼女が蝶々夫人と同じく武家の出身で、蝶の紋付を好んで着たため〝蝶々さん〟と呼ばれており、彼女がご主人と暮らしていたグラバー邸が物語と同じ長崎湾を見下ろす丘の上にあったことなどが、その根拠なのだとか。

更にこのオペラの特徴としては、日本の音楽がちりばめられていること。

『さくらさくら』、『お江戸日本橋』、『かっぽれ』、『宮さん宮さん』そしてなんと『君が代』の旋律まで使われているというんですから、恐れ入ります。

これは当時の在イタリア公使夫人だった大山久子さんから、プッチーニが様々な日本文化について教えてもらった中で、彼女が持っていた日本の音楽の録音・楽譜を提供したおかげ。

まぁパクリといえばパクリですが、日本文化を西洋に紹介したということで大目に見てあげてください。

しかし、初演は大失敗に終わってしまいます。

やはり初めて接する和服などの日本文化を、イタリア人はすんなり受け入れられなかったのかも。

しかしプッチーニはすぐに手を加えて、3ヶ月後の公演では大成功。

その後も改訂が行われ、現在演奏されているのは1906年のパリ公演で使用された第6版だそうです。

それでは、日本の香りが漂うこの名作でも最も有名な『ある晴れた日に』を、20世紀最高の歌姫マリア・カラスの歌声でお聴きください。




実はこのオペラ、主役の女性歌手にとっては殆ど舞台に出ずっぱりで、しかも音程が低いため〝ソプラノ殺し〟と言われているそうな。

それを知って聴くと、一層切なさが増すかも・・・。


             
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