FC2ブログ
転 用 


一昨年、日本プロ野球機構(NPB)は〝プロ野球80周年〟として様々なPRを行いました。

これは1934年にベーブ・ルースら大リーグ選抜軍が来日し全日本軍と対戦、同年12月26日にその全日本軍メンバーを中心として大日本東京野球倶楽部(読売巨人軍の前身)が設立されたことに因みます。

しかし、実際にプロ野球の試合が行われるまでには、それからもう少し時間がかかりました。

記念すべき日本初のプロ野球試合が行われたのは、それから2年後・・・今からちょうど80年前の今日・1936(昭和11)年2月9日、あの二・二六事件の2週間程前のことでした。

なんでまたこんな真冬に・・・と思ったら、この数日後に2回目のアメリカ遠征を控えた(直前に改称した)東京巨人軍の壮行試合として行なわれたのです。

    


巨人軍に対するは、名古屋新聞社を親会社とする名古屋金鯱軍。

厳密に言うと同チームの正式な設立は試合後の2月28日なのですが、実質的にはチームは出来上がっていたため、この試合が日本初のプロ野球試合とされています。

しかし7番目のプロ球団として半ば急ごしらえだった金鯱軍に大勝して勢いをつけようとした巨人軍の思惑とはうらはらに、試合は何と10-3で金鯱軍が勝利。

何とも締まらない壮行試合になったようです。ダメだぁ顔

さて、その試合内容はともかくとして、今日はこの記念すべき試合が行われた鳴海球場を取り上げたいと思います。

同球場は愛知電気鉄道(現・名古屋鉄道)が沿線開発の一環として1927年に愛知県愛知郡鳴海町(現・名古屋市緑区)に建設。

当時愛知県下には狭く形が歪んだ球場しかなかったため、同社は「東の神宮・西の甲子園に負けない本格的な球場を」という意気込みで、両翼106m、センター132mという、現在の球場よりも大きな球場にしました。

2万人収容で、後に甲子園と同様にメインスタンドには鉄傘も設置された同球場では、中学野球などのアマチュアの公式戦や、1931・1934年の大リーグ選抜軍と全日本軍の対戦も行われました。


しかし、時代の波がこの大きな球場を襲います。

戦争の激化と共に、球場は日本軍に接収され、鉄傘は金属供出により取り外され、スタンドは弾薬庫に。

そして終戦後は米軍に接収され、進駐軍のレクリェーションの場として使用されました。


1946年にプロ野球が再開され、鳴海球場でも公式戦が数試合行われましたが、1948年に中日スタジアムが建設されると、交通の便が良い同球場での試合が圧倒的に多くなります。

ホームランが出やすくなるようラッキーゾーンを作ったりスタンドを増設しましたが、試合数は思うように増えず・・・結局1953年に名鉄が中日ドラゴンズの経営から撤退したことで、プロ野球の試合が行われなくなり、球場の維持が窮地に。

そして遂に1958年、同球場は閉鎖されました。

しかし、これだけ広大な土地をどう再利用したか・・・皆さんが経営者だったら、どうしますか?

ここで下の写真を見てください。
左が戦後直後の鳴海球場で、右が閉鎖後なんですが・・・。





そう、跡地は名鉄自動車学校になったのです。
フィールド内に道路やS字クランクがあるのがお分かり頂けるでしょうか?

そしてスタンドも一部残され、事務所などに利用されているんです。


      


何ともうまい再利用法を考え出したものです。

他にも、昔プロ野球の本拠地として利用されながら、ドーム球場の建設等で使わなくなったスタジアムは、いつくかあります。


まず、野村捕手や杉浦投手が活躍した南海ホークスの本拠地・大阪球場は、一時期住宅展示場として利用されたことで注目されました。


現在は、『なんばパークス』 という大型複合商業施設として生まれ変わっています。

また近鉄時代に野茂投手が力投した藤井寺球場は、中・高一貫の私立学園に売却。

そして10・19の死闘で有名な川崎球場は、現在アメリカンフットボール専用のスタジアムになっているとか。

昭和のプロ野球ファンとしては、過去に聞き慣れた球場が消滅していくのは寂しい限りですが、時代と歴史の流れには抗えないようです。

果たして50年後、東京ドームは存在しているや、否や?うー



スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する