FC2ブログ
移 民

嘗ては日本人にとって憧れの〝南国の島〟だった、ハワイ。

今や年間150万人近くが日本から訪れるという、国内旅行と同じくらいポピュラーな観光地になっています。

日系人が多く住んでいることも知られていますが、その多くの先祖は移民でした。

日本・ハワイ双方の合意により、第一号の官約移民944名(成人男性682名、成人女性164名、子供98名)がハワイに向けて横浜港を出港したのが、今から131年前の今日・1885(明治18)年1月27日のことでした。 故に今日は、

 ハワイ移民出発の日


なのだそうです。

ハワイでは1850年に外国人の土地所有が認められ、白人投資家がこぞって同地にサトウキビ農場を設立。

1860年代には砂糖産業が急速に発達すると同時に、地元住民だけでは労働力が不足するように。

そこでハワイ王国は各国に移民受け入れの打診を行い、日本もその要請を受け入れて1885年1月に日布移民条約を締結し、ハワイへの移民を募集。

当時は全国的な凶作だったこともあり、全国から応募が殺到・・・当初の募集600名に対しなんと28,000名の応募があったとか。

※しかし選ばれた944名を出身地別にみると、山口県だけで420名(44%)、広島県で222名(23%)と全体の7割近くを占め、その他も西日本出身者が多かったとか。
これはこの移民政策を取り仕切ったのが長州出身の井上馨だったことが影響していたといわれています。


政府が斡旋(官約)し、〝3年で400円稼げる〟という好条件だったため、1894(明治27)年に官約移民が打ち切られるまで、26回・約29,000人が南の島に夢を託して渡航。

更にその後は民間業者による移民斡旋が続けられ、1924(大正13)年に排日移民法が成立するまでに累計約22万人もの日本人が海を渡ったといいます。


しかし常夏の島での農作業は過酷を極め、移民たちは現場監督にムチで打たれながら1日10時間労働・週休1日の労働に耐えなければなりませんでした。

     

上の写真は1920年の日本人移民たちを撮影したものだそうですから、おそらく移民開始当初はもっと酷い身なりだったのかもしれません。

3年間頑張っても思ったような貯金も出来ず、戻るに戻れない移民もいたり、中にはより良い条件を求めてアメリカ本土に渡る人もいたとか。

そんな先人の苦労を描いた映画があります。

『ピクチャーブライド(Picture Bride )』(1994年 アメリカ)


       

(工藤夕貴さん演じる)主人公のリヨが、両親を亡くし写真だけを頼りに:結婚を夢見てハワイに渡航・・・しかし待ち受けていたのは、父親とほぼ同い年男性。

慣れぬサトウキビ畑での農作業に悪戦苦闘しながらもたくましく生きていく姿を描いています。

観光でハワイを訪れる方は、是非この作品を鑑賞して先人の苦労に触れていただきたいですネ。

さて、このハワイ移民に関して、皆さんに知っていただきたい史実が。


実はハワイ移民に関しては、日本より先・1852年から中国人が入植を始めていました。


やはり3年間という約束で中国から移民が入ってきましたが、彼らは定着率が悪く、しかも契約期間が終わると同地で別の商売を始めて地元民とトラブルょ引き起こしたといいます。

この事態を憂慮したハワイ政府が、白羽の矢を日本に立てたというわけ。

移民はどの民族を受け入れても良いわけではない・・・という実例が、既に150年以上前にあったのです。

現在でも日本では移民受け入れの是非が論議されていますが、民族性を考慮し選別しないと国内が移民に荒らされることを十分に考慮すべきででしょう。

それは、昨年フランスやドイツなど西欧諸国で、既に証明されていますから。うー





スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック