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ベンチャー

おさらく私と同年代以下の方々の多くは、就活時この会社の情報誌に大変お世話になったことと思います。

今日はその会社 『リクルート』 の創業者にして、ベンチャーの旗手といわれた


 江副 浩正

の命日・三回忌にあたります。


江副氏は1936年に現在の愛媛県今治市に生まれました。

母親は出産直後に体調を崩して実家に戻ってしまったため、彼は生母の記憶がないままに育ったといいます。


その後一家は大坂に転居。 しかし生活は苦しく、江副氏は小学校時代に栄養失調になったことすらあったとか。

しかし彼自身は 「その時の経験が身近らをハングリーな人間にした」 と述懐しています。


そんな彼が進学したのは、成績優秀だった江副少年を見込んだ小学校の担任が勧めた甲南中学・高校。

同校は資産家の師弟などが多く通うセレブ校で、彼のように数学教師を父に持つ一般家庭から通っていた生徒は珍しく、在学中は目立たぬ存在だったとか。


しかし東大に入学するために、志望者が少なく難易度も低いドイツ語を選択し実際に合格を果たしたわけですから、その戦略性・実行力など実業家としての資質は早くから備わっていたようです。


(財)東京大学新聞社で企業向けの営業を覚えた江副氏は、同大教育学部卒業後(株)大学広告を起業。

大学新聞編集部の先輩・森稔氏(※森ビル初代社長・森泰吉郎氏の次男)が経営する 『第2森ビル』 の屋上に仮設事務所を借り、求人広告事業をスタートさせました。


同社は社会的ニーズに乗り急成長、社名を日本リクルートメントセンター(1963.4) → 日本リクルートセンター(1963.8)、更に短くリクルート(1984) と順次変更。

中途採用を重視し、事業も旅行・不動産・転職情報などに拡大。



多くの若者が同社に入社して起業ノウハウを学び独立・・・というパターンを夢見たものですが、その流れは今でも変わらないのかもしれません。

同社の登場が、終身雇用が常識だった日本の社会構造に変化をもたらした、とも言えましょうか。


私が今でも憶えているのは、創業25周年の式典で社員の前で女性トップダンサーと踊る江副氏の姿。


この頃が、彼の絶頂期だったのかもしれません。


                ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

しかし好事魔多し・・・1988年に当時未公開だったリクルートコスモス社の株式を中曽根康弘前首相や竹下登首相ら政財官界の要人に事前売却し利益を供与した、いわゆる〝リクルート事件〟が発覚。


江副氏は国会の証人喚問に立たされ、竹下首相は退陣を余儀なくされるなど世間を揺るがす一大スキャンダルに発展。


彼は翌年贈賄容疑で逮捕・起訴され、公判回数322回という東京地裁での公判回数歴代1位を記録した長期裁判の末、懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を受け、経営の表舞台からひっそりと姿を消しました。


                ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草
一代で屋上の掘っ立て小屋から大企業へと急成長を遂げた江副氏でしたが、ベンチャー企業であったがゆえに既存の大企業からはあまり評価されず財界でも孤立・・・それを払拭するために違法性に気付かぬまま某財界人のアドバイスに従って未公開株をばら撒き人脈形成を狙ったのかも。

しかしその焦りが、結果的に自身を潰すことになってしまいました。


その後は 『江副育英会』 の理事長を務めて若者の支援をしたり、自らが愛好するオペラの興行団体の代表を務めるなどしていた彼が76歳で天に召されたのは一昨年の2013年2月8日。



企業を急成長させ世間の注目を浴びた若手経営者が、あたかも狙い撃ち・国策捜査のように逮捕・起訴される・・・まるでライブドア事件を彷彿とさせます。

ただ個人的には双方の経営者・会社の性質はかなり違うとは思いますが。

あらためて、彼の著書 『かもめが翔んだ日』 のページをめくりつつ、一時代を築いた天才経営者の冥福を祈りたいと思います。


                 ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草


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