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破滅型


今や漫才人気はすっかり定着しつつあり、テレビ番組には若手の漫才師がとっかえひっかえ出演しています。


私自身お笑いは大好きですが、最近の漫才はやたら大声・早口の芸風が多く感じて、少々ついていけない感が。


中高年世代の方ならば、1980年代に一世を風靡した〝THE MANZAI〟ブームを憶えていらっしゃるでしょう。

ビートたけしのツービート、島田洋七のB&B、島田紳助の紳助竜介などが出演していましたが、そんな中でも絶対的な存在・漫才界の横綱として君臨していたのが、あの〝やす・きよ〟コンビでした。


現在でもテレビなどで活躍している西川きよしさんとコンビを組んでいたのが、


 横山 やすし さん


今日は、この天才漫才師の命日・早いもので没後20周年にあたります。


子供の頃から漫才師になる決意を固め、卒業式でも漫才を披露して拍手喝采を浴びた木村雄二(本名)少年は、松竹新演芸(現・松竹芸能)に入社。


しかし相方とのコンビ解消などの事情から横山ノック氏に弟子入り。 


横山やすしを名乗ると同時に吉本興業に移籍します。


何回か相方が変わった後、西川きよしさんと出会い、1966年に〝やすしきよし〟でデビュー。


当時から〝天才漫才師〟といわれ、才能だけで漫才をゆっていたようなイメージがあった横山さんでしたが、実際は 『コント55号』 を追い越そうと必死で勉強したのだそうです。


努力の甲斐もあって、1970年には上方漫才大賞を受賞するなど、着々とその地位を固めつつあったのですが・・・。


         


父親が電車にはねられて亡くなるという不幸が契機となったのか、彼は傷害事件や無免許運転、更にはコメンテーターとして出演していた 『TVスクランブル』 での暴言や遅刻など様々なトラブルを重ね、1984年に吉本興業から無期限の謹慎処分を受ける羽目に。


そして決定的(?)だったのは、相方・西川きよし氏の参院選出馬(1986年)でした。


西川氏の当選により、実質的にキー坊との漫才ができなくなった横山氏は、ますます生活が荒れ・・・遂に1989年、復帰して僅か3日後に酒気帯び運転で人身事故を起こし吉本興業を解雇されてしまいます。


子供の頃から負けず嫌いで、一番になることに憧れていたやっさん・・・もしかしたらキー坊との決別で 「もう一番にはなれない」 とヤケになってしまったのでしょうか?


また弟子には非常に厳しかったそうで、自分より若い者が酒席で先に帰るのを特に嫌ったのだそうです。 

チラッとでも時計を見ようものなら、その腕時計を外させて鍋に放り込んでしまうこともあったとか。


これも、もしかしたら寂しがり屋だったことの証左かもしれません。


酒におぼれた彼は、1996年1月21日に自宅で寝たまま意識を失い救急車で病院に搬送されたものの、再び目を開けることはできませんでした。

死因はアルコール性肝硬変・・・51歳の若さでした。


最期は哀れでしたが、私生活のトラブルを〝芸の肥やし〟としてきた古き良き(?)時代を象徴する最後の天才芸人であったことは間違いないでしょう。


やすし・きよしの漫才を見ながら()、ご冥福を祈りたいと思います。笑3




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