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飛 躍

いよいよ本格的なウィンタースポーツ・シーズンの到来です。

日本で人気の種目といえば、まずフィギュアスケートがあげられますが、屋外競技ならジャンプでしょう。

1972年札幌五輪の笠谷・金野・青地の表彰台独占や、1998年長野五輪での原田・船木らの団体逆転金メダル、そして最近ではレジェンド葛西選手や女子・高梨沙羅選手など、日の丸飛行隊の活躍をご記憶の方も多いはず。

そのジャンプ競技における〝聖地〟といえるのが

 大倉山ジャンプ競技場

札幌市郊外に位置する日本を代表するこのジャンプ台が竣工したのは、今から85
年前の今日・1931(昭和6)年1月16日のことでした。


このジャンプ台が出来るきっかけ・・・それは、秩父宮殿下でした。


1928(昭和3)年1月、青森で開催されたスキーの第1回全日本学生選手権で優勝したのが、大野精七監督率いる北海道大学。

この大会に臨席された秩父宮殿下(昭和天皇の弟宮)が、その翌月スキーを楽しみたいと仰せられ来道。

3日間北大スキー部員たちとスキーを楽しまれたのですが、その時宿泊先の酒席で突然

「将来日本でオリンピックを開くとすれば、雪質が良く大学都市でもある札幌が一番適当であると思う。 そのために、オリンピック用の大飛躍台を作る必要がある。」

とお話になられたというのです。


しかし当時の日本には20m級のジャンプ台しかなく、設計できる人材すらいませんでした。


そこで翌1929年、秩父宮殿下自らの口添えでサンモリッツ冬季五輪ノルウェーチームの監督を務めたシャンツェ設計の権威オラフ・ヘルセット中尉を招聘。


同時に大野監督以下北大スキー部員たちは自らの足で候補地を捜し歩き、札幌市郊外の三角山に隣接する丘陵地を選定。

そして建設費は、これまた秩父宮殿下からご下問を受けた大倉財閥の総帥・大倉喜七郎氏が負担を快諾。

ヘルセット中尉の招聘費用と合わせ7万円(※現在の1億円弱)をポンと出したそうな。

所有権問題で一時工事が中止してものの、見事ジャンプ台は完成。

踏み切ると、まるで札幌市街に飛び込んでいくような錯覚に捉われるこのジャンプ台は札幌市に寄贈され、スポンサーに敬意を表し『大倉シャンツェ』と命名されたのです。


(※余談① 従って、現在に至るまで 『大倉山』 という山・地名は当地に存在していません。)


      


完成当時は60m級のジャンプ台で、翌年のバッケンレコード(最長不倒距離)は51.5m。


残念ながら1940年に東京五輪とセットで開催されるはずだった札幌五輪は、当時の政情から開催を返上せざるを得ず、秩父宮殿下の夢は実現できず。

その後1952年には80m級、1970年には7億7千万円の国費を注ぎ込んでジャンプ台は大改修を施され、名称も現在と同じ 『大倉山ジャンプ競技場』 に変更。


1972年の札幌五輪では90m級のジャンプ会場として使用されました。


更に1996年の大改修などを経て、現在はナイター設備やペアリフトも備えており、現在でも日本で唯一のジャンプ・ワールドカップ開催地として利用されています。


因みに現時点でのバッケンレコードは、男子は伊藤大貴選手の146.0m、女子が高橋沙羅選手の141.0m。

もし秩父宮殿下や大倉喜七郎氏が高橋選手の大ジャンプを見たら、さぞ驚くことでしょうネ。

現在は展望台も作られ、スキーシーズン以外でも有名スポットとして多くの観光客が訪れるとのこと。

札幌に行かれた際は、是非足を運んでみてください。

(※余談② 東急東横線の 『大倉山』 駅は、近隣にある実業家で元東洋大学学長を務めた大倉邦彦氏が設立した大倉精神文化研究所に由来しており、大倉喜七郎氏やジャンプ台とは無関係です。)あせあせ




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