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美 声

鼻の右側に大きなホクロがあった二枚目俳優・・・といえば、中高年の方ならもうお分かりですょネ。 今日は、その


 細川 俊之 さん

の命日・没後5周年にあたります。


         


細川(※本名同じ)さんは1940(昭和15)年に現在の北九州市に生まれ、山口県下関市で育ちました。


山口県立豊浦高等学校から学習院大学に進学し演劇部に所属した彼は、大学を中退して俳優座養成所第13期生となり、文学座研究生を経て1971(昭和43)年まで文学座に在籍。

その間1967年には女優の小川眞由美さんと結婚するも、6年後に離婚。
その翌年に宝塚歌劇団出身の藤本典江さんと再婚しています。

早くから二枚目俳優として舞台を中心に活躍されていたそうですが、私自身が初めて細川さんの姿を見たのは、おそらく人気TVドラマ 『時間ですよ 昭和元年』(1974~75)だったと思います。

何となく影というか憂いのある役でした。

文学座を抜けてフリーになった後は、様々な映画やドラマ、そして舞台で活躍された細川さんは、美声の持ち主でもありました。

ご自身がパーソナリティーを務めたFM東京のラジオ番組 『ワールド・オブ・エレガンス』 は16年半もの長寿番組でしたし、アラン・ドロンのダリダのヒット曲『あまい囁き』を中村晃子さんとカバーしたレコードもヒット。

また1980年に公開された『あしたのジョー』劇場版では、力石徹の吹き替えも。

そして変わったところでは、こんなCDを出されています。(↓)

        


百人一首かるたとセットで売り出されたそうですが、彼の甘い声で朗詠された和歌は、百人一首ファンから高い評価を受けたとか。

あたかも光源氏が詠んでいる雰囲気を味わえたのかもしれませんネ。


しかし甘いマスクと美声を兼ね備えた細川さんも、病には苦しめられたようです。


1995年には糖尿病で入院し、更には同じ年に脳内出血で倒れたとか。

それでも2004年からは大阪芸術大学・芸術学部の教授に就任して年10回の講義を受け持っていたそうですが、その翌年あたりに出演していたTV番組に出演されていた際は、呂律があまり回っていませんでした。

やはり脳内出血の後遺症だったのでしょうか・・・そして2011年1月12日午後に自宅で転倒した細川さんは意識不明のまま病院に搬送され、その2日後に70歳で帰らぬ人となったのです。


昭和を代表する二枚目俳優のご冥福を、あらためてお祈り致します。

・・・中古市場で、百人一首を探してみようかナ。笑2



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