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斬 新


女性なら誰しも、そしてファッション音痴の私でさえその名を知っているブランド・・・〝シャネル〟。

今日は、この超有名ブランドの創業者、


 ココ・シャネル

  Coco Chanel

の命日にあたります。


シャネル〔本名:ガブリエル・ボヌール・シャネル(Gabrielle Bonheur Chanel )〕は、1883年にフランス・オホベルジュ地方に生まれましたが、11歳の時に母親が病死し、父親も彼女を捨てたため、孤児院や修道院で育てられるという悲惨な幼少期を過ごします。


18歳で孤児院を出た彼女は、歌手を目指してお針子仕事の傍らキャバレーで歌っていました。

※〝ココ〟という彼女の愛称は、その頃歌っていた“Ko Ko Ri Ko (コケコッコウ)”と、“Qui qu'a vu Coco dans le Trocadero (トロカデロ でココを見たのは誰?)”という歌の題名に
ちなんでつけられたもの。


しかし何度もオーディションに落ちたことで歌手の道を断念した彼女は、当時交際していたバルサンという将校の援助を受け、1909年マルセイブ大通りに自らデザインする帽子のアトリエを開業。

翌年にはバルサンと別れ、以後生涯愛することとなるイギリス人の青年実業家アーサー・カベルの資金援助により、パリのカルボン通りに〝シャネル・モード〟という名で帽子専門店を開店。


そして1915年にはビアリッツに〝メゾン・ド・クチュール〟を開店すると、その翌年にコレクションを発表し大成功を収めます。


1921年には調香師エルネスト・ボーによって生み出された香水・№5、№22を発表。


※シャネル№5に関する過去記事は、こちら。(↓)
   http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10453780040.html


この頃、サロンで作曲家のストラヴィンスキーや劇作家ジャン・コクトーらと、交際の幅を広げた彼女・・・1924年には、当時交際していたイギリス公爵ヒュー・グローヴナーからもらった宝石類からヒントを得て、模造宝石を使ったジュエリーを発表。

同時期に、後に〝シャネル・スーツ〟と呼ばれるスーツの原形を生み出しました。

しかし急激に売り上げを伸ばし急成長したシャネルは、過酷な労働を強いられた従業員からストライキを起こされ対立。

結果彼女は店を閉鎖し、ファッション業界から引退。

しかも第二次世界大戦中にドイツ軍・ゲシュタポの将校と懇意にしていたことから、1944年にはフランス政府に逮捕されてしまいます。

フランス人から売国奴と厳しい非難を浴びた彼女は以後10年に渡りスイスに亡命し隠遁生活を余儀なくされました。


         

1954年、パリに戻った彼女はホテル・リッツに居を構え、ファッション業界への復帰を画策。

しかしフランス国内では依然として彼女に対する風当たりは強く、なかなか思うようにならなかったようですが、そんな彼女を救ったのはアメリカでした。

ちょうどウーマン・リブ運動が盛んになった同国で、1955年に発表したブレードに縁取りのあるシャネル・スーツが大好評を博し、彼女は〝過去50年間で最も影響力を与えたデザイナー〟としてモード・オスカー賞を受賞。

彼女自身が痩身だったため、シャネルスーツを着こなすモデルは皆痩せ形・・・これが現在まで続くモデル=スリムというイメージに繋がったとか。

以後、今から45年前の今日・1971年1月10日にコレクションの準備中に倒れ87歳で天に召されるまで、現役デザイナーとしてファッション業界に君臨し続けたのです。

5年ほど前に出版された伝記本の中で、彼女がかつてナチス・ドイツのスパイであったことが明らかにされ、話題になりました。

しかしそれはあくまで思想的なものではなく、彼女が生き残るために選んだ道だったといえましょう。

彼女の生涯を辿ると華麗なる男性遍歴が浮かび上がりますが、それは決してぶら下がる男性をとっかえひっかえしたのではなく、そこに交際を踏み台にして斬新なアイデアやデザインを世に送り出しステップアップを続けた強かさを感じるのは、私だけでしょうか?

そのデザインによって、窮屈な服装から女性を解放した世界的デザイナーの冥福を、あらためてお祈り致します。





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