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不倒翁

今日・1月8日は、田中角栄氏を尊敬する私にとっては忘れられない近代中国の生んだ最高指導者の一人、


 周 恩 来


の命日・没後40周年ににあたります。


1898年、江蘇省淮安県の官僚地主の家に生まれた周氏は南開中学卒業後の1917年、日本に留学。 


早稲田辺りに下宿して明治大学政治経済科に学び、靖国神社の大祭を見学するなど日本に対して親近感を持っていたようです。


再来日して京大の聴講生となりますが、帰国後南開大学へ。 


在学中五・四運動に参加して投獄されるなどした後、1920年にフランス留学してから急速に共産主義に傾倒していきます。


帰国後労働者の武装蜂起を指導して蒋介石軍に捕えられ処刑寸前で脱出するなどしましたが、彼の名を一気に有名にしたのは、1936年に起きた 『西安事件』 でした。


国民政府主席・蒋介石を張学良らが監禁したこの事件で、蒋介石の説得に成功することで名を挙げた周氏は、その後勃発した日中戦争を共産党代表として指揮。


終戦後、共産党は国民政府との内戦に勝利し、1949年に中華人民共和国を建国。 周氏はこの時から亡くなるまで、国務院総理 (※首相に相当) の座に就くこととなります。


      

文化大革命勃発後、殆どの幹部が失脚する中で自らの地位を保ち続けた周氏は、人気女優であった養女・孫維世を江青によって粛清されたにも関わらず、その夫・毛沢東を終始支え続けました。


陰謀・策略が渦巻く中国政界で、毛沢東氏と多くの幹部の関係をうまく調整するコーディネーターとして強かに、そして我慢強く生き抜いた周氏・・・さすが〝不倒翁〟(ふとうおう=起き上がり小法師) と異名を取っただけのことはあります。


私が中学生だった1972(昭和47)年、時の総理大臣・田中角栄氏が中国に飛び、日中友好平和条約を結んだ時・・・眉毛の太い周氏が、田中氏と手がちぎれんばかりに握手していた姿を、今でもはっきりと覚えています。


訪中団一行を毛氏に紹介するなど、破格のもてなしをしたのも周氏の計らいだったとか。

       

温厚な性格と卓越した政治手腕は高く評価され、当時のアメリカ国防長官・キッシンジャー氏は


「上品で忍耐強く、並々ならぬ知性を備えた繊細な人物」


と最大級の賛辞を送り、また田中角栄氏も


「自分が会った中で当代最高の政治家は、周恩来である。」


と語っています。


田中氏訪中の4年後、1976年1月8日に癌が原因で亡くなった際には、彼を追悼しようとした市民と当局が衝突する〝第一次天安門事件〟が起きた程の人気があった周氏。


自身の遺言により遺体は後で辱められぬよう火葬され、遺骨は飛行機から中国の大地に散かれたそうです。


死後まで心配しなければならぬとは・・・中国の権力闘争、恐るべしうー




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