FC2ブログ
査 問

1年前に行われた衆院選で、議席数を8から21に増やし躍進(?)した日本共産党。

随分鼻息が荒いコメントを志位委員長が残していました・・・が、私の見立てでは他に入れる党がなかったから共産党に入れた、という有権者が多かっただけのように思えます。

そして新たに同党に投票した有権者・・・特に若い世代の方々は、この党の歴史をどの程度までご存じだったのでしょう?

「そんなの知らない」という方のために、今日は共産党の少々暗い歴史をご紹介致します。

1922年に結党された日本共産党は治安維持法により当初から非合法活動を強いられ、収入源に苦しんでいました。

そして1932年10月、共産党は『熱海事件』・ 『赤色ギャング事件』 により多くの幹部党員が逮捕され、壊滅的な打撃を受けます。


(※この事件に関する過去記事は、こちら。 ↓)

   http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11287963833.html

これらの取り締まりをかいくぐって検挙を免れた幹部党員により、同党は辛うじて存続したのですが、しばらくして


 日本共産党スパイ査問事件


が露見することに。

今から82年前の今日・1933(昭和8)年12月23日、当時同党中央常任委員だった宮本顕治氏らが同党中央委員だった大泉兼蔵・小畑達夫両名にスパイ容疑をかけて呼出し監禁。

自白させようと〝査問〟と称するリンチを行い、同日小畑委員は死亡し床下に埋められたのです。

(この時大泉委員は壮絶な拷問に気絶、しかし宮本氏は死んだと勘違いして引き上げたため、その後蘇生し命拾いしたとか。)

          

                  宮本 顕治 氏


翌日付の 『赤旗』 紙には 「中央委員小畑達夫・大泉兼蔵の両名は、党攪乱者として除名し、党規に基づき極刑をもって断罪する」 という声明を掲載。

警視庁はこの〝極刑〟という表現に注目し、両名が殺害された可能性があるとみて捜査を開始し、3日後の26日に宮本氏は逮捕。

黙秘を続けたものの、治安維持法違反らの罪で無期懲役の判決を受け収監。


しかし終戦直後の1945年10月、GHQが政治犯の釈放を命じた事により、宮本氏は網走刑務所から釈放され、赦免が決定。


その直後から党を再建した彼は、1958~70年に同党書記長、70~82年まで委員長を務め、実質的には亡くなる2007年まで約半世紀にわたり共産党を指導し続けました。

この事件については、1988年に当時衆院予算委員長だった浜田幸一氏が


「宮本氏が人を殺したと言っただけじゃないか」


などと発言し、辞任するキッカケとなったことで注目を集めたことも。

しかし宮本氏の影響力は、現在でも同党から払拭されたとは言い切れません。

現在委員長を務めている志位氏は、かつて宮本顕治氏の長男の家庭教師を務めていた人物ですから。うー

同党はこの〝査問〟事件における小畑・大泉両名に対する暴行の事実をすべて否定しています・・・が、私はとても額面通りには受け取れません。

同党に関して詳しく知りたい方には、『日本共産党の研究』(立花 隆・著 講談社文庫・刊)のご一読をお勧めします。

また同党は、オウム真理教関連団体、革マル派・中核派・革労協などの過激派らと同様に、公安調査庁の監視対象団体であることも事実。


有権者の皆さんには、耳触りの良い選挙演説に耳を傾けるだけでなく、政党の歴史や背景も熟知した上で投票していただきたいものです。


スポンサーサイト



コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック