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口 髭

講釈師 見てきたような 嘘をつき〟

〝講釈師 扇で嘘を 叩き出し〟

なんて川柳もありますが・・・張り扇で釈台をパパン、パン、パンッと小気味よく叩きながらのリズミカルな語りで聴衆をその世界に引きずりこむのが、講談。

落語・漫才と並ぶこの日本独自の芸能の世界に私を誘ってくれたのが

 田辺 一鶴  師匠

今日は、モジャモジャの口髭をたくわえ、一度見たら忘れられない強烈なキャラの持ち主だったこの名講談師の命日・七回忌にあたります。


一鶴(本名:佐々木秀雄)師匠は、1929(昭和4)年の東京生まれ。

25歳の時に十二代・田辺南鶴師匠の内弟子となった彼は、信じられないことに当初は吃音で苦しみ、田辺の〝た〟さえ言えないことがあったとか。

それを克服する過程で独特の話術を身につけた彼を一躍有名にしたのは、万国旗を出しながら参加国の名を延々と読み上げる新作講談 『東京オリンピック』。

小学生だった私が一鶴師匠の講談を初めて聴いたのが、コレでした。

国の名前が次々と飛び出す話術に、当時各国の名前とその首都を全部覚えようとしていた当時の私は、とにかく(凄いな、この人。)と感心したものです。 


その5年後、NHKのTV番組『ステージ101』にレギュラー出演したことでその人気は全国区になり、1972(昭和47)年には、E・プレスリーの〝ポーク・サラダ・アニー〟をモジッた 『ポークサラダ兄ぃ』 を何とプレスリーとの共演でリリース。

2000(平成12)年にはロサンゼルスで 『イチロー物語』 を披露し大好評、以後4年連続でロス公演を実現しました。


          

一鶴師匠の凄いところは、演ずるレパートリーの多くが新作ネタだったこと。


師匠は将棋アマ五段をもつ明晰な頭脳の持ち主であると同時に、その時々の時事問題も織り交ぜるなど、とにかく勉強家。

読書好きが高じて、一時期都内で 『イッカク書店』 を経営したほど。


そのたゆまぬ創作意欲と情報収集能力で、『田中角栄伝』・『貴花田と宮沢りえ』・『野茂英雄物語』・『古賀政男物語』、そして自身がかつて居候をして仕事を手伝ったという『水木しげる物語』等々、次々と新作を演じました。


またビアニストの羽田健太郎氏と 『ショパンと名曲の人生』 で協演するなど、新境地も開拓。

そして一般人を対象とした講談大学を解説したり、講談界で初めて女性や外国人の弟子を取り育成したことは、講談という古典芸能の裾野を広げる大きな功績と言って良いでしょう。

「101歳まで現役」 を目標とし、自叙伝を執筆中だった講談界最長老となった一鶴師匠でしたが、残念ながら病には勝てず・・・2009(平成21)年12月22日、肺炎により80歳で天に召されました。

師匠晩年の語り、短いですがこちらでご覧いただけます。(↓)


      https://www.youtube.com/watch?v=-Fr0KeAAPWw


〝講談界の異端児〟とも言われた天才講談師のご冥福を、あらためてお祈り致します。笑3



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