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棋 聖

子供の頃から大の将棋好きだった私・・・毎朝新聞を広げて読むのは、テレビ番組欄と将棋コーナーだけでした。冷や汗

そんな私がファンだったのは、古武士然たる風貌の持ち主だった升田幸三・第4代名人でしたが、今日はその升田名人と馬が合ったといわれる

 米長 邦雄 永世棋聖


の命日・没後3周年にあたります。


        


1943(昭和18)年に現在の山梨県富士川町に5人兄弟の4番目として生まれました。

米長家は頭脳明晰な兄弟揃いで、3人の兄はいずれも東大卒。

そのうちの一人・泰氏は学生名人にもなったアマチュア将棋界の強豪ですが、邦雄氏もその例に漏れず子供の頃から大人を負かす天才棋士として名を売っていました。

邦雄氏が小学校6年の時、その実力を見込んだ同じ山梨県出身の佐瀬勇次氏(後に名誉九段)が米長家にスカウトに訪れ弟子入り。 後に

「兄達は頭が悪いから東大へ行った。

自分は頭が良いから将棋指しになった。」

という名(迷?)言を吐きましたが、その通り彼は大山・中原全盛時代を生き抜き、1963年にプロ入り以降、28歳でA級昇段、30歳で初タイトルの棋聖を獲得。

そして1993(平成5)年には、7度目の挑戦で念願の名人位を獲得。
49歳11ヶ月は史上最年長記録という快挙・・・ミドル層を勇気づけてくれました。


生涯獲得タイトル19は一流棋士の証ですが、私はその戦績もさることながら様々な言動から米長氏の人間性に強く惹かれましたものです。


「『させてくれ』と女にお願いしているうちは半人前、『してください』と頼まれるようにならなければいけない」

という一家言(?)を持ち、実際女性スキャンダルを起こしたことも。

また42歳で鳥取砂丘でのヌード写真を週刊誌に掲載したりと、まさに破天荒。

更には園遊会に招かれた際には、天皇陛下に

「日本中の学校において国旗を掲げ国歌を斉唱させることが、私の仕事でございます。」

との発言が注目されました。

しかしその一方で将棋に対する研究には実に貪欲で、自宅に道場を作って若手棋士を集め、彼らから教えを乞うことを躊躇わなかったと言います。

更には元タイトル保持者でありながら進んでコンピューターとの対戦を行い、敗れたとはいえ大いに世間の注目を集めたことも。

この時は初手で通常有り得ない駒を動かしたのですが、そのことが今年のコンビューター対決で角不成という奇手を若手棋士が指し、コンビューターを反則負けに追い込む契機になったのかもしれません。

またテレビ対局の際の大盤解説では、その人生経験から実にアジのある発言を連発し、退屈させませんでした。

そんな米長氏には何冊か著書がありますが、その中で私はこの一冊をオススメします


『人間における勝負の研究』 (祥伝社・刊)

        
              

若き谷川・羽生両名人も良書を出版していますが、大山・中原全盛時代を戦い抜き史上最年長で名人位を手にした勝負師の言葉は、きっと皆さんの心にも響くと思います。

それが証拠に、羽生名人がこの本を小学校6年の時に読み、強く印象に残っているそうですから。

棋聖・十段・王将・棋王と、史上3人目の四冠を達成し、引退後も将棋連盟の会長として連盟の赤字解消や底辺拡張に尽力しながらも、2012年12月18日・・・前立腺がんにより69歳で天に召された天才棋士のご冥福を、あらためてお祈り致します。笑3



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