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副将軍

毎週月曜日午後8時45分過ぎ、「カッカッカッ」 と高笑いする老人・・・といえば、水戸のご老公。 


今日は、このドラマのモデルである


 徳川 光圀 公


の命日にあたります。


光圀公は1628(寛永5)年、水戸徳川家初代藩主・徳川頼房の三男(つまり家康の孫)として生まれましたが、母・久子は正室ではありませんでした。


1633年には早くもお世継ぎに指名され、江戸小石川藩邸で英才教育を受けた光圀公。 その翌年には3代将軍・家光にも拝謁、僅か8歳で元服し 「光国」 の名を賜ります。

(※「光圀」に改名したのは52歳の時。)


ところが幼少の頃から兄を差し置いてお世継ぎになったことがストレスとなったのか、少年時代は街中で刀を振り回したり頻繁に遊郭通いをしたり・・・〝天下の副将軍〟 というよりは、まるで〝暴れん坊将軍〟 。あせあせ


しかし18歳の時に司馬遷の 『史記』 の一節・〝伯夷伝〟を読んで大いに感銘を受けたことが彼を学問に目覚めさせ、1657(明暦3)年から始まった 『大日本史』 編纂の伏線になったようです。


         ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-水戸光圀


26歳で結婚したものの、その僅か5年後に妻に先立たれてからは以後独身を通し、1661(寛文元)年に34歳で第2代水戸藩主となって1690年に養子・綱條に藩主の座を譲り隠居するまで、社寺改革・笠原水道の敷設・水戸学の発展に貢献した光圀公。


一方では日本人で初めてラーメンや餃子、チーズなどを口にした人物とも伝えられ、ワインも愛飲するなど意外(?)にも新しモノ好きな一面もあったようです。


赤穂浪士討ち入りのほぼ3年前・・・今から315年前の今日・1700(元禄13)年12月6日に、食道ガンのため71歳でこの世を去りました。

ところでこの光圀公は、水戸黄門漫遊記などでは全国を旅したことになっていますが、実際には領内の他は江戸・鎌倉・日光・房総にしか足を運んでいないことが知られています。


庶民の間で名君の評判が高かったことで、後の講釈師が十返舎一九の 『東海道中膝栗毛』 に登場する弥次・喜多をヒントに助さん・格さんというキャラを作り出し、彼らを従えた黄門様が諸国を行脚して悪者を懲らしめるというストーリーが定番となりました。


(ちなみにこの黄門様という呼称は、古代中国の官位であった〝黄門侍郎〟の略であり、日本でいえば〝中納言〟に相当するものだとか。)


40年以上に渡って放映され続け、多くの日本人にその名を知られている黄門様・・・果たしてご当人の光圀公は、国民的ヒーローとなった自分自身の姿を見て、どう思っているのでしょう?


「人生 楽ありゃ、苦もあるさァ~」音譜


そう口ずさみつつ、〝天下の副将軍〟のご冥福をお祈り致します。笑3


※余談ですが、ご老公役が東野英治郎さん、助さんが杉良太郎さん、角さんが横内正さんで1969年に始まったTVドラマ 『水戸黄門』 の初回放送分では、お馴染みの印籠を出して皆を土下座させるシーンがなかったんだそうな。

一体どういうラストだったのか?・・・逆に興味が湧きます。



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