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画竜点睛

今日は、日本美術院理事長、東京藝術大学の学長も務めた日本画の大家、

 平山 郁夫 画伯

の命日・七回忌にあたります。

         


平山画伯は1930年に現在の広島県尾道市で生まれました。

終戦直前に勤労動員されていた広島市内で原爆投下の被害に遭った平山氏ですが、戦後は旧制忠海中学に転校すると、当時から絵画に才能を発揮していた彼は、卒業後祖母の兄の勧めで東京藝術大学に進学。

卒業後同大の助手を務めていた頃に、原爆の後遺症により白血球の減少で一時は生命の危険に晒されましたが、その中で描いた三蔵法師を題材とした『仏教伝来』が院展(※日本美術院の公募展覧会)に入選。

これがきっかけとなり、以後画伯は仏教を題材にした作品を多く描くように。
          



この仏教への思い入れは、やがてシルクロードへの憧憬に繋がり、1960年代後半からたびたび中国やシルクロードの遺跡を訪問。

その影響は、薬師寺の壁画など作品に色濃く残されています。

法隆寺の金堂壁画や高松塚古墳壁画の模写など重要な仕事を重ねると同時にユネスコ大使や日中友好協会会長、更には2度にわたって母校・東京藝術大学の学長も歴任。

海外からも複数の表彰を受けたばかりではなく、1998年には文化勲章も受賞。 多くの後進の指導も行った、まさに日本画界の巨星が79歳でこの世を去ったのは、2009年12月2日のことでした。


      

            シルクロードを行く・キャラバン(西・月)


平山画伯が当代一流の画家であったことに異論はないと思います・・・が、残念なことに一部カネ絡みの批判がありました。

画伯の歩みから中国寄りの発言をしていたのは仕方ないにしても、文化大革命などで破壊された中国の遺跡を「日本軍が破壊した」と偽って募金活動をしたことや、藝大の学長時代にデパートや放送局とタイアップして自作の展示即売会をして多額の利益を得たとか・・・。

それが証拠に、画伯が亡くなった4年後の2013年、平山夫人が自宅に置いてあった現金2億円を申告しなかったと国税庁に認定され、追徴金1億5千万円を納付したことがありました。

画伯自身の遺志かどうかは分かりませんが、文化勲章を受章した方としてはいささか〝画竜点睛〟を欠いた所業。

功績に泥を塗ってしまったことが残念です。

寅は死して皮を残し、芸術家は死して作品を遺す・・・蓄財も程々にして欲しい、と思うのは凡人のヤッカミなんでしょうか?うー



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