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元武士

江戸時代に始まり、現在でもその人情噺で多くの観客を泣き笑いさせる伝統芸能・人形浄瑠璃。

今日はその代表作 『曽根崎心中』 や 『心中天網島』 の作者として名高い


 近松 門左衛門


の命日にあたります。


       


門左衛門(本名:杉森信盛)は1653(承応2)年、越前国(現・福井県)に福井藩士の子として生まれました。

(※生誕地に関しては他に諸説あり)

藩主の弟が分家立藩するに伴って現在の鯖江市に転居した杉森家ですが、ここで1664(寛文4)年に突然父親が藩を辞し浪人になってしまいます。

京都に移った一家のその後の動向は殆ど分かっていませんが、門左衛門は19歳の時に本名で俳諧文集に句を載せており、また20歳前後で大変に人形浄瑠璃好きだった一条禅閤恵観という公家に仕えていたようですので、その頃に浄瑠璃との縁が出来たと思われます。


20歳代からいくつか作品を書いたと言われていますが、当時は作者名を明かさなかったため断定が出来ないとのこと。

確実に彼の手によるものと確認されている最初の作品は、1683(天和3)年に上演された『世継ぎ曽我』・・・31歳の時のもの。

そして34歳の時に、彼は初めて近松門左衛門というペンネームを使っています。

(※この本名と全く違うペンネームの由来は、彼が若い頃修業したのが〝近松寺〟だったから・・・というのが有力。)

その後門左衛門は、男女の機微を主に150本近い作品を次々に発表。

特に心中物は庶民の人気を博しました・・・が、それが故に物語を真似て心中する者が続出。

幕府はこの事態を憂慮し、1723(享保8)年に心中物の上演を一切禁止します。

それに失望したわけではないのでしょうが、門左衛門はその翌1724(享保9)年11月22日に72歳で没しました。


      
        『曽根崎心中 他 現代語訳付』 (角川ソフィア文庫・刊)



門左衛門の描く悲恋話は、現代人の心にも十分響きます。

 「此の世のなごり 夜もなごり 

           死に行く身をたとふれば あだしが原の 道の霜」

という有名な 『曽根崎心中』 の一節のように、七・五調の文章も浄瑠璃見物に訪れる観客の耳に心地よく残ります。

(ただし文楽の大夫に言わせると、近松作品は原作通りだと非常に演じにくいのだそうですが・・・。)冷や汗

今時の薄っぺらいTVドラマを見飽きた方には、是非門左衛門の残した江戸文学に触れてみることをオススメします。

お武家様から作家へ・・・見事転職に成功した彼ですが、亡くなる2週間前に描かせた上の自画像は、烏帽子を被った武士の正装姿でいかめしい顔立ち。

やはり最期まで元武士であった気概・ブライドを持ち続けていたのでしょうネ。




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コメント
コメント
はじめまして。
毎回、楽しくも深いお話を拝見し感心しております。
一つのジャンルにとどまらず様々な出来事を、たまにはユーモアを交えながら綴られていく文章についつい引き込まれてしまいます。
これからも楽しみにしてますからね。
2015/11/22(日) 13:50:22 | URL | ミドリノマッキー #- [ 編集 ]
◇ミドリノマッキーさん
コメントありがとうございます。
身に余るお言葉、痛み入ります。
今後ともご愛読いただければ幸甚に存じます。m(_ _)m
2015/11/22(日) 18:52:17 | URL | ナベちゃん #- [ 編集 ]
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