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長 身

今日は、激動する20世紀のヨーロッパにおいて現在のフランスの地位を築いた最大の功労者・・・軍人にして首相・大統領をも務めた

      シャルル・ド・ゴール 

 Charles André Joseph Pierre-Marie de Gaulle

の命日・没後45周年にあたります。

一昔、いや二昔以上前の人物ですが、日本の若者も名前だけは聞いたことがあるはず。

なぜならパリの空港や道路・公園、果ては空母まで、至る所に彼の名が冠せられていますから・・・。


           


ド・ゴールは1890年、フランスの工業都市リールに生まれました。

先は下級貴族で、祖父が歴史学者、父親は医学・理学・文学と3つも博士号を持つ校長先生というインテリ家庭に育った彼は、子供の頃から歴史を学び〝フランスの名誉と伝統〟に誇りを抱くように。


そして当初は伝道師を目指したものの、最終的には身長2mという大柄な体格を生かすため軍人の道を選びます。

中学卒業後に陸軍士官学校に入学した彼は、その長身から〝大将軍〟とか〝アスパラガス〟と渾名をつけられたそうな。

そして卒業後歩兵第33連隊に少尉として配属されたことが、その後の彼の運命を大きく変えることに。

なぜなら、そこの連隊長が彼の生涯の師であり、彼を高く評価したペタン大佐だったから。

第一次世界大戦に従軍した際は気絶していた時に死体と間違えられて危うく埋められそうになったり、捕虜になって6回脱走を企てたものの大柄だったために全て失敗するなど苦労を重ねます。


終戦後は軍事顧問としてポーランドに赴任すると、ポーランド・ソビエト戦争で軍功を残しポーランド政府から勲章を授与されましたが、帰国後は自己主張が強かったため上官との折り合いが悪く昇進が遅れます。

しかしその間もペタンはド・ゴールを庇い続けたとか。

(ただ、そのペタンとは第二次世界大戦前あたりから、対立関係になってしまうのですが・・・。)

そして第二次世界大戦が始まるやドイツに攻め立てられるフランスにあって、彼が率いる第4師団はドイツ軍と互角以上に奮戦。

1940年6月には国防次官兼陸軍次官に任命され、フランス史上最年少の49歳で准将に。

その直後にパリが陥落すると、亡命先のロンドンに亡命政府を結成しBBCのラジオを通じてフランス国民にドイツに対して徹底抗戦を呼びかけました。

その後アフリカやマダガスカルで対ドイツ戦の指揮にあたり、フランス国内のレジスタンス組織・全国抵抗評議会が1944年にフランス共和国臨時政府となった時に代表となります。

1944年6月にノルマンディー作戦が成功して同年8月25日パリが解放されると、その翌日に凱旋門からノートルダム大聖堂までパレードを行ない、ド・ゴールはパリ市民から熱狂的な喝采を浴びました。

議会は満場一致で彼を臨時政府の首席に選出。


彼は自動車メーカーのルノーやエールフランス航空を国有化し国家の復興を推進しましたが、1946年1月に軍事費削減を不満として突如首相を辞任。

翌年にフランス国民連合を結成するも後に分裂騒動が起きたことで自ら連合を解体し、1955年には引退を宣言します。

しかし、時代はまだ彼を必要としていました。

1958年5月に起きたアルジェリア独立運動に手を焼いた政権は、ド・ゴールに事態の収拾を委ねます。

彼は全権を自分に与えることと自分の提案する新憲法案の承認を
条件に首相に就任すると、アルジェリアの鎮静化に成功。

同年10月には新憲法(フランス第五共和政憲法)が交付され、彼は第18代大統領に就任。

以後は強いリーダーシップを発揮して政権を安定させフランスの高度経済成長を達成させると同時に、米ソとは一線を画してヨーロッパ諸国による〝第三極〟構想を持ち、NATO軍から撤退するなど強気の独自路線を歩みました。

アメリカに頭の上がらないどこかの国の総理大臣とは、随分違います。

1968年に学生運動に端を発した〝五月革命〟も鎮圧し、議会選挙にも大勝したにも関わらず、何故かその翌年に辞任。

アルジェリアの独立を認めたことで極右勢力から命を狙われ続け、映画 『ジャッカルの日』 の如き暗殺未遂を31回も凌いできた彼でしたが・・・1970年11月9日、山荘に籠っての執筆活動中に解離性大動脈瘤破裂で79歳の生涯に幕を閉じました。


       

           『ド・ゴール』 (渡辺和行・著 山川出版社・刊)

フランスにとってのド・ゴールは、日本での吉田茂氏・・・いやそれ以上の存在だったのでしょう。


大柄な体躯と強気な政治手法からは想像しにくいですが、私生活は非常に質素かつ古風なものだったとか。

それ故に遺言書には 「国葬は不要、勲章は一切辞退」 と認められていたそうですが、さすがにフランス政府は国葬だけは執り行いました。

その国葬が行われたノートルダム寺院のミサには世界から80ヶ国の首脳が参列し、内26人は国家元首・・・その数は、ケネディやアイゼンハワー米大統領、チャーチル英首相の葬儀よりも多かったといいます。

いろいろな意味で、現在日本の政治家には参考になるであろう傑物のご冥福を、あらためてお祈り致します。笑3



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