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面 長

落語好きの方なら、タイトルだけで誰のことかお分かりでしょう。

今日は、落語だけでなくテレビ番組の司会や俳優としても活躍した


 五代目 三遊亭 圓楽  師匠


の命日・・・早いもので、七回忌にあたります。

         


圓楽[本名:吉河寛海(ひろうみ)]師匠は、1932(昭和7)年に台東区浅草にあるお寺の息子として生まれました。


身長177cmという大柄な身体からは想像しにくいですが、幼少時は病弱で腎炎や結核との闘病生活を経験したとか。

戦時中東京大空襲に遭いながら一命を取り留めた経験から、「これからは農業の時代だ」という父親の勧めで埼玉県の杉戸農業高校に進学した寛海青年の進路を変えたのは、上野鈴本演芸場で落語を観たこと。

戦争で全てを失い失意の底にいる暗い顔をした人々を笑わせる落語は凄い!・・・そう思った彼は、6代目・三遊亭圓生の門を叩きます。

「一人前になるまで50年は食えない」 と脅す師匠に 「30歳までに真打ちになれなければ辞めます」 と啖呵を切って入門した彼は、その言葉通り29歳10ヶ月で真打に昇進。

その後は端正なマスクで人気を博し、テレビ番組で司会をしたり歌ったりドラマに出演したりとマルチに活躍。

しかし圓生師匠から 「落語に専念しろ!」 と命じられ、1977年には全ての番組から降板。

その翌年、真打昇進の粗製乱造を批判したことから圓生師匠と会長の柳家小さん師匠が衝突して〝落語協会分裂騒動〟が勃発。

圓生師匠は落語三遊協会を設立し圓楽師匠もそれに付き従ったのですが、翌年圓生師匠が心筋梗塞で急逝すると、同協会は事実上崩壊。

多くの直弟子が落語協会に復帰したのですが、圓楽師匠だけは踏みとどまり、1980年に新団体〝大日本落語すみれ会〟を設立・・・現在も〝円楽一門会〟として存続しています。

そして1983年に 『笑点』 の4代目司会に就任。

当初はワンポイントのつもりだったそうですが、結果的には歴代最長・23年間も務めることに。

通常3問のところを2問だけで終わろうとした伝説(?)の珍プレーもありましたが、いつもニコニコ顔で穏やかな司会ぶりは、安心して観ていられました。

ただその間、一門の弟子たちのために私財を注ぎ込んで寄席・『若竹』を新築したものの、僅か4年後に閉館に追い込まれ、多額の借金を背負うことに。

それさえも笑いのネタにしたところ、またその借金も全て完済したところは、さすが。

しかし残念ながらその借金返済のために講演活動に勤しんだため、落語家として最も脂の乗る50代の時に高座にあまり上がれなかったことは、残念でした。

2005年に脳梗塞を患い入院。 


翌年に 『笑点』 の司会から勇退し、再起を賭けて2007年に 『芝浜』 を演じたものの、本人がその出来に満足できず、直後に引退を表明。

その半年後に胃ガンが見つかり手術したものの、肺に転移。


自ら後継者に指名した6代目・圓楽(楽太郎)の襲名披露を4ヶ月後に控えた2009年10月29日、76歳で天に召されました。


        

         『圓楽 芸談 しゃれ噺』 (白夜書房・刊)

生前は、その面長な顔立ちから仲間内から〝ウマ〟と言われていましたが、麻雀の腕前も名人級だったそうで、行きつけの雀荘の名前が〝サラブレッド〟だったというウソみたいな逸話を遺した圓楽師匠。


今は、1972年にインドで起きた日航機墜落事故で23歳で亡くなった元客室乗務員の妹さんと並んで眠る、〝星の王子様〟のご冥福をお祈り致します。

(※ちなみに『星の王子さま』というキャッチフレーズは、圓楽師匠が電車内で女学生が取り合いしていた本を見て、自分でつけたもの。

しばらくして出版元の岩波書店から「 おかげさまで本が良く売れました」 って礼状が届いたそうな。 お後がよろしいようで・・・。 )笑2


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