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特 訓

今なら 「それは虐待だ」 とクレームがつくかもしれませんが、子供時代がスポ根アニメ全盛期だった私にとっては、懐かしい言葉・・・〝特訓〟。

競技によって様々な猛特訓があったでしょうが、個人的に最もこの単語が当て嵌まる練習といえば、今から54年前の今日・1961(昭和36)年10月27日に多摩川グラウンドで行われた

 雨中の特訓


だと思います。

練習したのは、巨人軍選手たち。 

そしてさせたのは、川上哲治監督でした。

         


水原監督の辞任を受けて、このシーズンから第8代読売巨人軍の監督に就任した川上哲治氏は、ドジャーズ戦法の導入やシーズン中盤に牧野茂コーチを招聘するなどしていきなりリーグ優勝を達成。

そして南海との日本シリーズも、10月26日の第3戦を終えて2勝1敗とリードしていました。

翌27日に予定されていた第4戦は早々に雨天中止が決定。


巨人ナインは 「これで骨休めができる」 とばかり、合宿していたお茶の水の旅館でノンビリ・・・しようとしていたら、監督から 「これから練習を行う」 というお達しが。

迎えに来たバスに乗り込んだ選手はてっきり室内練習で軽く汗を流すだけ、と思っていたら差に非ず。

到着したのは、土砂降りの多摩川グラウンドでした。

打席とピッチャーマウンドだけにテントを建てて、水浸しの
グラウンドでバッティング練習。


しかし打球はすぐに泥だらけ。


それを洗って焚火で乾かしてはまた使い、1人10発打つのがせいぜいだったとか。

現役だった広岡達朗氏や森昌彦氏は猛反対したそうですが・・・ではなぜこんな非効率な、しかも下手をすれば風邪をひいて体調不良になりかねない練習をしたのか?

ひとつには川上監督が子供の頃、父親から 「雨の中だとしっかり目を開けないと補給できない」

と集中力を養う方法を伝授されたことがあったといわれています。

また 「これだけ練習したら、負けるはずがない」 という意識を選手に植え付け、チームワークを高める効果を期待したとも。

この特訓を聞きつけた南海・鶴岡監督は、「もしかしたらこのシリーズは勝てないかも・・・」と呟いたそうですが、実際4勝2敗で巨人が日本一に輝きました。

しかし、もうひとつの〝真意〟が、川上監督の死後遺族が発見したノートに記してあったというです。

この年のシーズン前に敢行したペロビーチ・キャンプで、川上監督はメシャー・リーグにおける監督の権限の強さに目を見張ったといいます。

そしてその権限の強さを選手たちに知らしめるために、この雨中の特訓を強行した・・・というのです。

それが功を奏したのか、その後川上監督は14年間の長きにわたり巨人の監督を務め、その間V9を含めリーグ優勝11回、そしてその年全てに日本一になるという不滅の記録を残しました。

よく 「ONがいれば、誰が監督しても勝てた」 という方がいますが、私はそんなことはないと思います。

川上さんだったからこその偉業だと・・・。

この雨中の特訓を含め、広岡氏とは悉くぶつかった川上氏ですが、後に両者は和解したといいます。

あくまで私の推測ですが、広岡氏自らが監督を務めたことで初めて川上監督の心情が分かったからではないでしょうか?

「私の巨人軍における14年間の監督生活を〝報恩感謝の精神〟と〝チームプレー〟で貫いた」


と述懐する名監督の組織論・人心掌握術を、川上氏の著書から学ぶことが出来ます。


    

      左・『禅と日本野球』(サンガ文庫・刊) 右・『遺言』(文春文庫・刊)

闘将・星野仙一氏がNHKの解説者だった時、同じく解説者だった川上氏に、

「ONがいて、あの投手陣・・・楽だったでしょう。」

と話しかけたところ、川上氏の返事は

「君が率いても3連覇、4連覇は出来ただろう。 でも、9連覇は僕しかいない。」

川上氏の著作からは、そう答えるだけの努力と精進を重ねておられたことがよく分かります。

明日・28日は、その打撃の神様にして球史に残るこの大監督の命日・三回忌です。笑3




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