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神 様

今日は、日本文壇に於いて20世紀前半に活躍した白樺派を代表する小説家、

 志賀 直哉

の命日にあたります。


       

1883(明治16)年、二宮尊徳の門人だった祖父、帝国生命保険などの取締役を務め財界で活躍した父を持つ彼は、現在の宮城県石巻市に生まれました。

2歳の時に父の転勤により上京した彼は、学習院の初・中・高等科を経て東京帝国大学文学部英文学科に入学。

しかし7年間師事していた内村鑑三の下を去りキリスト教から離れた彼は、国文学科に転籍。

1908(明治41)年には学習院時代から同級だった武者小路実篤らと回覧雑誌 『望野』 を創刊し作家の道へ。

その2年後、更に柳宗悦、郡虎彦、有島武郎らと同人誌 『白樺』 を創刊すると、大学を中退。


それまで結婚問題を含め衝突していた父親と袂を分かつかのように、広島・京都に転居した彼は、1914(大正3)年に武者小路実篤の従妹と結婚すると、翌年には千葉県我孫子市に居を構えます。

その前後に短編作品を発表し続けた彼は、1937(昭和12)年に唯一の長編小説にして代表作とされる 『暗夜行路』 後編を発表。

1947(昭和22)年に日本ペンクラブ会長に就任すると、2年後に文化勲章を受章。

1971(昭和46)年10月21日に、肺炎により88歳でこの世を去りました。


私の記憶に残っている彼の作品は、中学生時代に文庫本で読んだ 『清兵衛と瓢箪』 『小僧の神様』


       

『小僧の神様』は、これを発表後に彼が〝小説の神様〟と言われるようになる端緒となった作品で有名ですが、そのエンディングが実にユニーク。

そして両作品とも主人公が子供だったこと、そして自分の気持ちが大人に通じないもどかしさや空想・思い込みするところに共感したことを憶えています。

今にして思えば、それはある意味父親と衝突を繰り返した直哉氏自身の回想や大人に対する思いが込められていたのでしょう。

また無駄がないと定評のある文体も、子供には読みやすかったのかも。

殆どの作品が短編であるにも関わらず文学界で高く評価されたのは、秀でた文章力があったればこそだったのでしょう。

ただ、(自分は全く話せないのに)一時期公用語をフランス語にすべき、なんて日本人小説家とは思えぬ発言をしたりもしていますが・・・。


梅原龍三郎や和辻哲郎など多くの文化人とも交流し、文学界だけでなく我が国の近代文化に少なからず影響を与えた〝小説の神様〟のご冥福を祈りつつ、再度短編小説を読み直してみたいと思います。

えっ、『暗夜行路』は読み返さないのかって?

う~ん、内容が結構ドロドロなんで、ちょっと・・・ねェ。うー


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