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大クマ

5日前の拙ブログで、広島東洋カープ初優勝の記事を書きましたが、今日・10月20日はその〝影の立役者〟と言っていい、

 ロリン・ジョセフ・ルーツ 監督

   Rollin Joseph Lutz

の命日にあたります。

日本では、ジョー・ルーツと呼ばれ、身長186cm・体重100㎏超の巨体から〝大グマ〟という渾名を奉られた彼は、1925年に米・アイオワ州で生まれました。

1946年にセントルイス・ブラウンズと契約したもの、メジャーでは僅か14試合に出場しただけの無名選手でした。

その後大学コーチを経てクリーブランド・インディアンスのコーチをしていた際、1972年にアリゾナで海外キャンプを張った広島東洋カープの臨時コーチを務めたことが縁で、1974年に広島のバッティング・コーチとして招聘。

          

              コーチ時代のルーツ氏


しかし同年の広島は3年連続の最下位に甘んじ、3年契約だった生え抜きの森永勝也監督は責任を取って僅か1年で辞任。

当初は2年契約だったルーツ氏も一緒に退団するつもりだったとそうですが、
当時の重松球団代表はこの元メジャーリーガーにチーム再建を託す決断をします。

その熱意に応えるべく、ルーツ氏は一転して監督就任を了承。

日本球界初のメジャーリーグ出身の外人監督として、即座にチーム強化に乗り出します。

チームに闘争心を植え付けるべく、紺色から〝赤ヘル〟に変えさせたのがルーツ監督だあることは以前のブログでご紹介しましたが、他にも彼はその後の日本プロ野球に大きな影響をもたらす改革をしています。 例えば

◆ チーム生え抜きながら自分に批判的だった長谷川投手コーチを更迭。  更にやはりチーム生え抜きの渋谷・上垣内両内野手を放出して、日ハムから大下剛史内野手を補強すると、いきなり主将に指名。

◆ 自ら渡米して日本野球向きのシェーン、ポプキンス両選手を獲得し、

  衣笠選手を3塁にコンバート

◆ 外木場義郎投手には「3日に1度・年40試合に先発、その代わりリリーフなし」と、投手ローテーションを確立し、それに沿った練習スケジュールを組ませた。

◆ 選手にプライドを持たせるため、移動の新幹線・特急電車は全てグリーン車にし、選手個々が持参していた野球用具はトラック輸送などに切り替え。

レギュラー・生え抜き関係なしの選手起用と、怠慢プレーには10万円近い罰金を科すことで選手に競争心を植え付け、一方でローテーションを確立することで選手寿命を延ばす。

またミーティングでは 「君たち選手には勝つことによって広島という地域社会を活性化させる社会的使命がある」 と説いたそうですから、ルーツ監督就任前後で選手の意識は劇的に変化したはず。

しかし、彼がチームの采配をふるったのは、開幕して僅か15試合だけでした。

1975年4月27日、甲子園球場で行なわれた対阪神ダブルヘッダーの第1試合で自軍・佐伯投手が掛布選手に投じたフルカウントからのカーブを〝ボール〟と判定されたことに激高。

主審に詰め寄り、バックネットまで押しやってしまい、止めに入った1塁々審を突き飛ばして退場宣告を受けてしまいます。

         


しかしそれでも〝大グマ〟はホームベース付近で仁王立ちし、動く気配なし。

このままだと没収試合になる・・・ということで、審判団はたまたま球場に居合わせた重松球団代表に説得を依頼。

仕方なく代表がグラウンドに降りてルーツ監督と話すと、意外にもアッサリ彼はベンチ裏に・・・ところが、話はそれで終わりませんでした。

監督就任には 「グラウンド上では全権を与える」 ことを条件としていた彼とすれば、球団代表がグラウンドに降りてきて自分に意見したことが許せなかったのでしょう。

第2試合が始まる前、選手をロッカールームに集めると、

「今後、広島の指揮は取らない!」

と宣言して球場を出た彼は、その後数回にわたる球団の慰留に耳を貸すことなく、その言葉通り辞任してアメリカに帰国してしまったのです。

彼の日本における監督の戦績は、6勝8敗1分という寂しいものでした。

しかし彼の〝遺産〟を生かし、コーチから監督に就任した古葉監督が、このシーズン見事にチーム史上初のリーグ優勝を成し遂げました。

離日前、「秋に優勝したら祝福しに来るョ」 と約束した通り、彼は広島にやってきて選手を祝福したといいます。

もし彼がそのまま指揮を執っていたら、広島はどうなっていたのか?

日本のプロ球界には更なる変革が起こったかも・・・。

少なくとも、古葉監督の運命は、かなり違ったものになっていたでしょうネ。

帰国後は少年野球の指導をしていたそうですが、脳卒中や糖尿病の療養生活の末に彼が83歳で亡くなったのは、2008年10月20日。


監督在任期間は短かったものの、その後の広島の躍進、いや球界発展の基礎を築いたルーツ氏の名前は、広島ファンならずとも野球を愛する者は忘れてはなりませんネ。

あらためて〝赤ヘル生みの親〟のご冥福をお祈り致します。





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