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一 途

今日は、日本初の近代女優として一世を風靡した、

 松井 須磨子 さん

の命日にあたります。

松井(本名:小林 正子)さんは、1886(明治19)年に私の実家に近い現在の長野市松代町で士族の五女として生まれました。

6歳で養女に出されますが、15歳の時に養父が亡くなったため実家に・・・ところがその年に実父も亡くすという、悲しい体験をします。


そしてその翌年、彼女は東京・麻布の『風月堂』に嫁いでいた姉を頼って上京し、戸板裁縫学校(現・戸板女子短大)に入学。
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そして17歳の時に親戚の勧めで結婚するも病弱だったため僅か1年で離婚すると、この頃から平凡な生活から脱却すべく、女優を志します。

俳優養成学校に願書を出しますが、面接で顔に華やかさがないと言われた彼女は、当時最先端だった整形手術を受けて鼻を高くしたのです。

しかし最先端と言っても明治時代のこと・・・それは鼻筋に蝋を注入するという今では信じられない施術。

後に彼女はその後遺症に苦しみ、体温程度でも溶けだす蝋を冷水を絞った手拭で冷やして痛みに耐えたとか。


そこまでして・・・女性の美に対する執念、男性の私には理解できませぬ。

しかしその甲斐あって、彼女は見事俳優養成学校に入学。

そして1908年に同郷出身の男性と再婚。

東京俳優養成所で日本史を担当する講師となった彼の勧めもあって、彼女は坪内逍遥が主宰する文藝協会演劇研究所の第一期生としてた入所。

ところが演劇にのめり込むあまり夫の食事すら作らなかったため、愛想を尽かされてまたもや離婚。

でも離婚により演劇に集中できるようになった彼女は松井須磨子という芸名をもらい、1911年に 『人形の家』 の主人公ノラを演じて好評を博します。

そんな彼女の目の前に現れたのが、後に運命の人となる島村抱月氏。

        


彼女より15歳年上の島村氏は、早大卒業後読売新聞社勤務を経て母校に戻り、フランス・ドイツへの海外留学を経て文学部教授となったインテリで、坪内逍遥と共に1906年に文藝協会を立ち上げた人物。

1909年には協会附属の演劇研究所で新劇活動を始めたのですが、そこで彼女と出会い恋仲に。

しかし当時島村氏は結婚していたのです。

やがて研究所の看板女優との不倫関係が明るみに出ると、坪内逍遥との関係が悪化し島村氏は文藝協会を辞めることに。

すると2人は研究所を飛び出し、1913年に芸術座を立ち上げます。

そして翌年、トルストイの小説を島村氏が脚色した『復活』が好評を博し、劇中でカチューシャ役を演じた彼女が歌う『カチューシャの唄』(中山晋平氏・作曲)も大ヒット。

レコード2万枚以上を売り上げた彼女は、日本初の〝歌う女優〟に。

〝カチューシャ留め〟という簪(かんざし)が大流行し、カチューシャという名前をつけた薬まで発売されたそうですから、その人気の凄さが分かります。

しかし、そんな2人かの蜜月関係は長くは続きませんでした。

1918年11月5日に、島村氏がスペイン風邪でこの世を去ってしまったのです。

「抱月あっての私」と信じていた彼女は、意気消沈。

それから2か月後の月命日であった1919年1月5日・・・彼女は2人で立ち上げた芸術座の道具部屋に島村氏と自分の写真を並べて置き、花と線香を手向けると、その前で首を吊って自らの人生に幕を引き、愛する人の後を追ったのです。

まだ32歳の若さで・・・。

彼女は島村氏の墓に一緒に埋葬されることを望んだそうですが、当然その願いは叶わず・・・しかし天国で、愛する人と共に暮らしていることでしょう。

ウチの女王様も、私の後を追って・・・なんてことは、有り得ませんナ。うー




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