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精 巧


あなたは、〝左官〟という職業にどんなイメージをお持ちでしょうか?

私は子供の頃に見た、新築中の木造一戸建ての土壁に見事な鏝(こて)捌きで真っ白な漆喰の壁をきれいに塗っていた職人さんを思い浮かべます。

まさに職人技・・・なのですが、かつてその鏝で壁を塗るだけでなく見事な芸術作品を生み出した天才がいました。 今日は、その


 入江 長八

という江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した名工の命日にあたります。


          


彼は、1815(文化12)年に現在の静岡県賀茂郡に農家の長男として生まれました。

11歳の時に地元の棟梁・関仁助に弟子入りし左官の道を歩み出しましたが、当時から手先の気器用さでは群を抜いていたとか。

ある時、兄弟子が土蔵の裏壁に漆喰で半球形の〝折釘の座〟を長時間かかって塗っているのを見た長八が、棟梁と兄弟子が仕事場を離れた隙に古いお椀の中へ漆喰を詰め、アッと言う間に見事な〝折釘の座〟を作り、まもなく戻ってきた2人をびっくり仰天させた・・・という逸話が残されています。

〝栴檀は双葉より芳し〟とは、このこと。


そして19歳の時に江戸に出て左官頭・波江野亀次郎の許に身を寄せると、谷文晁の高弟だった狩野派の喜多武清から絵画・彫刻を学ぶと、それを鏝使いに応用し、漆喰に模様や色彩をつけて室内観賞用の芸術作品を生み出したのです。

まさに職人の技と芸術の融合、といえましょう。

26歳の時に江戸の日本橋茅場町にあった薬師堂の御拝柱2本に昇り竜と下り竜を造り、早くも〝名工・伊豆の長八〟と有名になった彼は、31歳の時に故郷・浄感寺の再建に携わり、天井に名作の誉れ高い『八方にらみの竜』を描きました。

その後江戸に戻った彼は、「わが秋や 月一夜も 見のこさず」 という辞世の句を残し1889(明治22)年10月8日に74歳でこの世を去るまで、浅草寺・観音堂や目黒・祐天寺など各所に作品を遺しました。

彼の作品を見ると、鏝で作ったとは信じられないの精巧さです。(

         

しかし残念なことに彼の作品の多くが江戸(東京)に残されたため、関東大震災や東京大空襲などにより焼失したとのこと。

僅かに高輪の泉岳寺や成田山新勝寺に作品が残されていますが、現在は前述の浄感寺にある『長八記念館』に約20点、また故郷・松崎町に1986年開館した『伊豆の長八記念館』に約50点が集められ展示されているそうです。

伊豆方面にお越しの際は、是非名工の作品に触れてみてください。





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