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転 機

今からちょうど30年前の今日・1985(昭和60)年9月22日、その後の日本経済を揺り動かす大きな決定がなされました。 それは

 プラザ合意


それまでの過度なドル高是正のため、アメリカのベーカー財務長官が音頭を取って日本・イギリス・ドイツ・フランスの先進5ヶ国(G5)の大蔵大臣と中央銀行総裁がアメリカに集合。

彼らが会議を行なったのが、ニューヨーク・セントラルパークに隣接したプラザホテル。

1907年に建設され、古くは『北北西に進路を取れ』 から 『クロコダイル・ダンディー』 シリーズや 『ホーム・アローン2』 など多くの映画に登場しているこの老舗ホテルの名が、この時の合意文書につけられそう呼ばれています。


        


その内容は、「基軸通貨であるドルに対して、参加各国の通貨を一律10~12%幅で切り上げ、そのための方法として参加各国が外国為替市場で協調介入を行なう」 というもの。


1980年代前半のアメリカは、レーガン政権の金融引き締め策などで高金利となり、過剰なドル高を招いて貿易赤字を膨らませ、財政赤字と合わせて〝双子の赤字〟が大問題となっていました。


プラザ合意によって為替はドル安基調となり、アメリカは貿易赤字を減らすことに成功。


しかし実質的にアメリカから押し付けられたこの合意・・・日本にとっては大きなマイナスとなりました。

各国首脳の思惑としては〝近い将来10~12%のドル是正〟だったのですが、我が国ではそれを遥かに上回る円高が急激に進行。

それまでの1ドル240円だったのが、合意1年後には150円に。

これにより、それまで好調だった輸出産業は一挙に苦境に陥り、町工場など中小企業の倒産が続出。

生き残りをかけた大企業は海外に生産拠点を移すなどしたため、国内産業の空洞化を招きました。

あまりにドル安が進み過ぎたため、G5に加えカナダ・イタリアが1987年2月にパリで会議を開き、ドル安抑制を計りました(ルーブル合意)が上手くいかず、同年末には1ドル120円と2年前の半値にまで進行。



      

そして1986年の石油価格急落に伴い、日本では積極的な不動産投機によるバブル景気が始まりました。

〝地上げ〟という言葉が流行り、不動産業者が銀座で一晩に〇百万使ったなどという武勇伝(?)が話題になったのも、この頃。

しかしその景気も1990年3月に大蔵省が出した 『土地関連融資の抑制について』 という、いわゆる総量規制の通達によって、一気に終息。

その後の日本は、10年とも20年とも言われる〝失われた時代〟に突入したのです。

いわばこのプラザ合意は、その後荒波に翻弄される小舟の如き日本経済の波乱の幕開けになった、と言えましょう。

一連の経済動向についてその原因には様々な説が存在しますが、ひとつ言えることは・・・日本の経済は自らの意志によって制御できない、ということ。

今後どんな波が我が国を襲うのかは予測できませんが、常に受け身にならざるを得ない状況が続くことだけは確かでしょう。

しかし私自身、あのバブル景気を経験したことは決して悪い事だったとは思っていませんが・・・。笑2




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