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自由契約

 フリー・エージェント
    
Free Agent


直訳すれば、まさに題記の通り 『自由契約』 。

しかし日本プロ野球界において、自由契約はほぼ〝クビ〟と同義語で使われています。


現在フリー・エージェントといえば、一定の条件をクリアしていずれの球団とも選手契約を締結できる権利を持つ選手を指すのが一般的。

そういった選手の権利を認める、いわゆる 『FA制』 の導入を日本プロ野球機構が決定したのが、今から22年前の今日・1993年9月21日のことでした。

そもそもこのFA制を初めて導入したのは、アメリカ大リーグ。

1975年、球団が提示した契約条件に納得せず、契約書にサインしないまま同年のシーズンをプレーしたモントリオール・エクスポスのデーブ・マクナリー投手(下・写真左)トロサンゼルス・ドジャースのアンディ・メッサースミス投手(下・写真右)が

「球団に自分を拘束する権利はなく、他球団との契約交渉は自由にできるはず。」

と声を上げたのがきっかけ。





結局同年12月のシーズンオフに調停委員会の仲裁で両名にフリー・エージェントの権利が認められたのです。


昭和時代、日本のプロ野球選手は、ドラフト会議でくじ引きにより行き先を決められ、トレードも球団フロントがほぼ一方的に決めていましたから、選手にすれば職場選択の自由が殆どゼロ。

当然このFA制の導入を要求する声が出され、アメリカに遅れること18年目にして実現に至りました。


当時とは条件が多少違いますが、現在では国内・国外と2通りのFAがあり、簡単にいうと国内が在籍7~8年、海外は9年以上1軍でプレーすれば権利を取得できます。

ちなみに導入が決まった1993年にFA第1号になったのは、阪神の松永弘美選手でした。

また、この時移籍した超大物選手は、中日から巨人に入団した落合博満選手。

逆に思い止まったのは、巨人の槙原寛巳投手。

片や大物を口説き落とし、片や自軍のエースを引きとめるべく自宅に赤いバラの花束を持って説得に向かったのが当時の巨人・長嶋監督だったことは、今でもよく憶えています。

しかし彼らのようにチームの主軸やエースならばともかく、それ以外の選手にとってFA宣言するのは結構勇気が要るんです。

というのは、一旦FA宣言をして他球団と交渉しても、もしうまく話がまとまらにないと元の球団とも契約が出来なくなり、本当にフリーになる恐れがあるから。

ですから余程行き先がはっきり見えていないと、なかなか踏ん切りがつかないのです。

傍から見ているとFA宣言をした選手は自由に球団を選べ、年俸も高額になってうらやましい限り・・・ように見えますが、実は選手にとってそれほどバラ色の制度でもないんです。

例えば1993年の場合、有資格者は52名いたのですが、実際にFA宣言したのは5人だけで、実際に他球団と契約したのは、僅かに4名。

前述の落合・槙原両選手は、そのうちの2人というわけ。

またこの年に移籍した選手に巨人・駒田徳広選手がいますが・・・実は現在に至るまで22年間、巨人から他球団にFA移籍したのは彼だけ。

このFA制度がどの球団にとって有利なのかは、想像に難くないですネ。


ちょっと古い本ですが、2009年に発行されたこんな本があります。

プロ野球 FA宣言 「天国と地獄」 (洋泉社・刊)

       


これを読むと、FA制度は当初特定球団に戦力偏向が見られたものの、現在は主として海外移籍の手段になっていることが分かります。

それ故にトップ選手の流出に加速がつき、結果的に日本プロ野球の地盤沈下・人気低迷に拍車をかけているようにも感じます。

果たしてFA制は今後も必要なのかどうか?

ところでこの制度・・・ビジネス界で導入したら、どうなるでしょう。

在籍10年経過したら同業他社へのFAを認める、なんて面白いと思いませんか?

能力に自信のあるサラリーマンなら、新天地を求めて手を挙げられる・・・まぁ、大抵の場合は体良く自由契約にされるのがオチかもしれませんが。うー




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