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爆笑王

現在テレビ等で活躍している9代目・林家正蔵と2代目・林家三平が兄弟なのは皆様ご存知だと思いますが、今日は彼らの父親である

 初代・林家三平 師匠

の命日・・・早いもので、没後35周年にあたります。


三平師匠(本名:海老名泰一郎)は、1925(大正14)年に7代目・柳家小三治師匠の長男として東京・台東区で生まれました。

終戦直前の1945年3月に陸軍に徴兵され、同年10月に復員。


松竹演芸場で通行人役として初舞台を踏んだ彼は、1946年2月に父・正蔵に入門し、父の前座名だった柳家三平をもらい、芸名を林家三平としました。


1947年に所属する東宝名人会で二つ目に昇進するも、その2年後に父親が亡くなったため、彼は4代目・月の家圓鏡門下に弟子入りし、落語協会で一から出直し。

1951年に再度二つ目に昇進すると、その翌年に妻・香葉子さんと結婚。
彼女との間には前出の兄弟の他に長女・美どり、次女・泰葉と4人の子供に恵まれました。

1954年にはラジオ番組『浪曲学校』の司会を務めると、翌年にはテレビ番組『新人落語会』の司会も務め、これで一気に知名度が全国区に。


落語家がテレビで売れる先鞭をつけた・・・というか、テレビが彼を売り出したと言ってもいいでしょう

       

その後もテレビ番組の司会を続けたり、人気番組 『笑点』 にもたびたび出演する一方、高座でも活躍。

1968年には落語協会の理事に就任し、終生同職を全うしました。

三平師匠の芸は、一言でいうなら型破り。
落語と漫談の中間と言うか、独特のくだけた語り口が特徴でした。

子供心にも、白黒テレビで観た高座で、師匠が座布団から転げ落ちるように全身で語っていた姿を憶えています。


「どうもすみませ~ん」、「もぅ大変なんですから・・・。」

なんて台詞、今なら間違いなく流行語大賞を獲得していたでしょうネ。

しかし殺人的なスケジュールで働き続けた三平師匠を、病魔が襲います。

落語協会分裂騒動があった翌年の1979年・正月、脳溢血で倒れて病院に救急搬送され、一週間昏睡状態に陥ります。

何とか意識を回復したものの、右半身マヒと言語障害が残ってしまいました。

再起不能といわれながら懸命のリハビリの結果10月に奇跡的な復活を遂げたものの、翌年9月の高座で引退。


その直後肝臓ガンのため入院した2日後の9月20日・・・芸人としてはこれから円熟期を迎える、54歳で天国へと旅立ちました。

果たして2人の息子、特に名跡を継いだ2代目が初代の芸を超えられるかどうか・・・きっと三平師匠は心配そうに下界を覗いているかもしれません。


師匠の懐かしい高座を鑑賞しつつ(↓)、〝爆笑王〟の異名をとった希代の落語家のご冥福を祈りたいと思います。



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コメント
コメント
はじめまして。
懐かしいものを見させていただきました。
“昭和の爆笑王”林家三平。
知ってる人も少なくなり寂しいよね。
2015/09/20(日) 13:27:07 | URL | ミドリノマッキー #- [ 編集 ]
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