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十 段
柔道家でこの方を知らなければモグリ・・・と言ってもいい伝説的人物といえば、

 三船 久蔵 十段

今日は、『名人』 の称号も受け、嘉納治五郎氏と並び称されるこの〝柔道の神様〟の命日・没後50周年にあたります。

三船氏は1883(明治16)年、現在の岩手県久慈市に米問屋の三男坊として生まれます。

父親は腕白坊主だった彼に社会勉強をさせるべく高等小学校卒業後地元の役所に就職させたものの、給仕の仕事に馴染めずたった2週間で退職。

呆れた父親は、郷里から遠く離れた仙台二中に進学させたのですが、これが彼と柔道の出会うきっかけとなるのですから、人生は分かりません。


入学した彼は、たまたま仙台一高と仙台二高(現・東北大学)の柔道対抗戦を観戦し、大いに感激。

自ら仙台二中に柔道部を創設すると、在学中は柔道にのめり込みます。

仙台二高に通い詰めて大和田義一師範の教えを受けた三船氏はめきめき上達。

高校生相手に10人抜きをする程になった彼の対戦相手は仙台にいなくなったため、彼は二中を卒業した1903(明治36)年に上京して講道館に入門します。

全国から並み居る強豪が集結する講道館で、身長159cm・体重55kgの三船氏は極めて小柄。

しかし彼は人並み外れた稽古量をこなし、入門して3ヶ月後に初段に昇進すると毎年のように商談を続け、入門後僅か5年余り後の1909(明治42)年には5段に昇進し、〝講道館の風雲児〟の異名を取りました。

翌年、東京大学・日体大など11校の柔道師範に就任し、ますます柔道に専心した三浦氏は、関東大震災が起きた1923(大正12)年に7段に昇進。

それまで大車・踵返し・三角固めなど多数の新技を開発してきた三船氏でしたが、その頃に彼が唯一の使い手とされる伝説の〝空気投げ(隅落とし)〟を編み出します。

       


ところで、幻の技・空気投げ(隅落とし)とは、一体どんな技なのか?・・・興味ありませんか?


こちらの映像の1分過ぎから、三船十段の実演をご覧いただけます。(


  < https://www.youtube.com/watch?v=1ye5DC7sVTw
>
柔道というより合気道のようでもあり、何となく初代・若乃花の得意技・仏壇返しに似ているような気もしますが・・・一見すると相手が勝手にコケて見える、素人や凡人には分かり得ない神技。

三船十段曰く、「相手が大きい程決めやすい」そうですから、まさに〝柔よく剛を制す〟の見本のような技といえましょうか?

そして遂に終戦直前の1945(昭和20)年5月、62歳で歴代4人目となる講道館最高段位の十段に昇段。


戦後は世界柔道選手権で審判を務めたり、1964年の東京五輪では柔道競技の運営委員を務めるなど、柔道の国際化にも尽力された三船十段・・・五輪開催から僅か3ヶ月後の1965年1月27日、喉頭腫瘍と肺炎のため82歳でこの世を去りました。

ところで、亡くなる前日まで稽古を休まなかった程三船十段が柔道に専心できたのは、郁子夫人の献身的な支えがあったからだったとか。

その奥様とは、親同士が持ち寄った縁談がきっかけで、なんと話が出た僅か2日後に挙式。

ご両人が初めて会ったのがその式当日だったという、今時の若者にはアンビリバボーな結婚ですが・・・2人の息はピッタリ。


弟子たちが、「三船久蔵の十段は、先生の五段に奥さんの五段が合わさった」と 語るほどの仲睦まじい夫唱婦随ぶりだったとか。


やはり偉業を達成するためには、まず夫婦・家族がしっかり支え合わなければいけないようです。

ウチの女王様に、この話をちゃんと聞かせなきゃ・・・。うー

最近問題噴出・低迷気味な日本柔道の復活を願いつつ、〝柔道の神様〟のご冥福をあらためてお祈り致します。




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